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さとう社会問題研究所コラム

今回は離婚法の問題点の第2回です。前回は、離婚訴訟においてDV法が悪用されているということを取り上げました。
DV法が裁判官の判断に予断を与える恐れのある法律であること。男性の被害が見過ごされていること。そのため、本当にDVで苦しんでおられる女性が放置される恐れがあることです。

今回は、民法の単独親権について考えてみたいと思います。
民法819条により、離婚の際には「父母の一方」を親権者と定めなければならず、夫婦の離婚は、すなわち、一方の親の親権が喪失することを意味しています。
私は、この事が、離婚訴訟を一段とややこしいものにしていると考えております。
もちろん離婚するのですから、752条のような「夫婦の同居の義務」はなくなります。子どもの体は一つなので、「同居」を一方に定め、「監護」についても「同居ができない分」の制限はやむを得ないです。
しかし、「親権」というものは、民法820条から833条の条文を見る限り、離婚によって一方に親権者を定める必要性は感じられません。
監護と親権は同じものではないからです。監護は現実の必要性のある出来事で、親権は法的な権利に他ならないからです。

また、766条3項(平成24年4月の改正後は4項)で、「監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない」と定められています。
これは、筆者の「離婚=親権の喪失」に対する矛盾を解消する法文のようにも読めます。
しかしながら、親権者を定めてしまったら、この「父母の権利義務」は有名無実となります。
近年、離婚の増加に伴い、『離婚訴訟に際しての子の連れ去り』や『離婚後の面会交流拒否』が社会問題化してきております。
面会交流は親権者の一存で決められ、裁判に訴えれば、裁判官が『年3回の写真送付で面会に替えることができる』と安易な審判する様な運用下で、この法文は無意味です。
『離婚すると子供に遭うこともできない』このことが、『親としての使命感』に火を点け、連れ去りに至らせるのではないかと思います。
筆者は、『離婚によって親権が喪失した後、変化が生じない父母の権利義務』という考え方には、現行民法の大きな矛盾を感じております。

それに、最高裁は単身赴任を正当化し、日本では多くのお父さんが単身赴任をしているはずです。
しかし、単身赴任者は長期の子との別居によって親権を喪失することもないのですから、同居と親権はセットである必要もないのです。
親権とは別居していても行使できる権利なのです。よって、離婚の際は、監護者だけ定めれば良い事です。

最近、離婚後共同親権について話題になることもあるようです。
これにも、『離婚後の合意形成の難しさ』という問題があるのですが、近年の面会交流事案をうかがっていると、『離婚裁判で親権を失わない法制度』の必要性を感じざるを得ないです。

そもそも、『離婚制度』は『夫婦が別れるための制度』であって『親子が別れるための制度』ではありません。


2012年3月4日 著作物です。無断転用は禁止します。 さとうかずや(さとう社会問題研究所)


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