さとう社会問題研究所コラム

今日の14時46分で、東日本大震災から1年を迎えます。

私も発災の時からHPのコラムなど、ネット上で震災について発言してきましたが、 震災から1年、もっと私にできることはなかったのか?と考えてしまいます。

今回は、震災から1年を迎えるに当たり、以前から懸念を抱いていたことがあるので書きます。

それは、「どうして被災者・被災地ががんばっているの?」ということです。

もちろん、「現地の復興ですから現地ががんばらねばならない」という理屈は分かります。

ただ、未曽有の大災害で、人生で得た物、家や思い出の証を流され、 それ以上に大切な、家族、友人、職場の同僚など、大事な人たちを目の前で、たくさん流されて失った。

そんな辛い思いを整理するまもなく、経済や産業やお金など、さまざまな形で行動を要求される。
そこに、大きな疑問を感じてしまいます。

最近、被災地では『孤独死』と『自殺』という形で人が亡くなることが増えているそうです。
せっかく、未曽有の大災害から生き残っても、家族や大事な人を命がけで津波から守っても、 その半年や1年で、一人で死んでいくことになるというのは、 残された人により大きな悲しみや苦しみとなって積み重なると思います。

ただ、私は、それを亡くなった方の責任にするつもりはないです。
その方たちが『死ななければならなくなった事情』を考えた時、『震災復興』の大きな矛盾を感じるのです。

大災害は被災者の「心の傷」、「喪失反応」「ストレス反応」、いわゆるトラウマやPTSDと言われる災害神経症として後々まで大きな心理的負担になることは発災当初から分かっていたことです。
「喪失反応」は2か月以上経てば、「うつ」と診断することができます。当然、「うつ」の方が増えることも分かっておりました。

うつやPTSDの方たちにとって必要な事は、「休養」であって、「がんばること」ではありません。
「励ます」ということは、精神的な負担に重石を載せるような事。論外です。
業務上の「うつ」で自殺なさる過多の7割が、直前までがんばっておられます。

しかし、被災地で「うつ」やPTSDになってしまった方たちに求められているのは復興であって、精神的・経済的な負担です。
私は、6月にコラム「震災復興のための戦略構想」をHPでアップしたのですが、その中で、「被災者の平穏な生活を取り戻す」を目的とし「第一に被災者の生活資源の確保」と述べました。
私は被災者や被災地にとって必要なことは、がんばることでも、励ますことでも、自分たちで復興に取り組むことでも、本来はないと発言してきました。

実は、警察庁の把握している自殺の原因の2割が「経済的な理由」とされております。
今年も、自殺者数が3万人を超え、その6割が無職、内閣府は「震災の影響」と分析しているようです。
ですが、それは、当初から分かっていたことでもあります。

ニュース記事

私は、この1年の「復興の歩み」というものに対し、大きな疑問を抱いてきました。
それは、現在言われている「復興」が、「社会の歯車の復興」であって、本当に意味での、「」被災者「や」被災地 にとっての「復興」だったか?という疑問です。
もちろん、被災者の中にも、復興に取り組むことで大きな悲しみを克服なさろうとしている方も多いと思います。

ただ、その反面、被災地では希望を失い、お酒しか日々を過ごす術がなく、自殺など孤独の中で亡くなっていく人たちがいます。
しかも、それは既に予測されていたことで、本来、防ぐことができたことかも知れないのです。

さらに進んで言いますと、現在、頑張っている方たちも、心の辛さを抱えたまま無理に頑張り続けたなら、どこかで大きな反動が起こる危険性があります。
教師の休職理由として近年話題になっている「燃え尽き症候群」です。

震災からの復興とは誰のためのものなのか?と考えた時、休養が必要な人たちが頑張らねばならない復興には大きな疑問を感じます。
一時的にでも生活不安から解放され、休養を取れるような時間を被災者と被災地に与えて欲しかった。
「被災者の心の復興」になるようなものであって欲しかったです。

実際のところ、私は震災に対し、被災地に対し、被災者に対し、何もできなかったと思います。 ですが、これからも、できることを探すつもりです。
もうすぐ東日本大震災から1年を迎える。でも、被災地にとっては何の区切りにもならない。未だに震災は続いている。


2012年3月11日 著作物です。無断転用は禁止します。 さとうかずや(さとう社会問題研究所)


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