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さとう社会・心理研究所コラム


【子供の日】ある虐待被害者の記憶


みなさん、ごきげんよう。

今年も子供の日なので、研究所のテーマの一つである虐待についてお話ししたいと思います。

さとう社会・心理研究所では、虐待と貧困の根絶をテーマにしており、これまでの研究から、社会問題の解決には貧困の解決が最優先の課題であると感じております。

しかしながら、これは虐待の根絶を後回しにすると言う意味ではありません。


今回は、わたくし自身の虐待被害について、請願書の執筆のため触れたものとなります。

執筆の都合に合わせての記述のため、あくまでその一部を簡潔に記したものとなっております。

ただ、開業以来11年、自分が虐待被害者である事については触れておりましたが、それがどの様なものであったか?はあまりお伝えしてきませんでした。

これは研究所の研究テーマの一つである「苦しみに対する無理解」によるもので、文中でも触れております。

子供の頃、わたくしにとっては虐待被害そのものより、虐待被害を訴えた際の教師を含めた周囲の無理解の方が問題でした。


以下、その内容となります。一部加筆修正を行っております。

わたくしは虐待被害者であり、機能不全家族の生き残り、いわゆるサバイバーやらアダルト・チルドレンと呼ばれる人間です。

父は母のヒモ男で、母が働きに出ている間も家におり、物心ついた頃から暴力を振るわれておりました。

その暴力の具体的な例を挙げると、殴られて、叩かれて、床に叩きつけられて、頭や背中を踏みつけられて、唾を吐きかけられておりました。

傷が残ると母にバレるので、母にバレない程度に痛めつけられておりました。

その上、父はその事について「傷が残らない程度に考えて暴力を振るっていた」と得意気に話していたのを覚えております。

わたくしが何かしていたらしいのですが、突然怒って殴られるため、わたくしは自分の罪を知らされぬまま。

わたくしには父に殴られぬ様、顔色をうかがう事しかできませんでした。

子供の頃は父が少しでも動くたび、酷く反応してしまっておりました。

そして、母がいない夕食の時間は勉強や学校での成績、高校や大学の進学の話ばかりでした。

最近の言葉では圧迫面接と言われる様な、自分の学歴や成績を棚に上げた内容の話ばかりでした。

その上、言葉を間違えれば殴られるので気が気ではありませんでした。

また、わたくしの母は、自分が不幸で頑張っている姿を称賛されるため、ヒモ男と子供を作り、子供には何もできない無能者であることを求める抑圧者でした。


もちろん、周囲や大人に助けを求めた事もありました。

その結果、子供の頃は自分が受けている虐待被害を「そんな事ある訳ない」と嘲笑され、嘘吐き呼ばわりされ続けておりました。

わたくしが父の虐待から逃れたのは、文字通りの殺し合いをして家から追い出せたからです。

テーマから外れるため詳細は省きますが。その5年ほど後、母はDV男と結婚してからアルコール依存が悪化して死に、わたくしは家を追い出されました。


わたくしは一人で虐待と機能不全家族と20年戦い、さらに20年で父が死に、ようやく虐待の当事者ではなくなりました。

わたくしにとって虐待とは、人生と命を懸けた孤独な戦いでした。

人生と命を「捨てた」と表現した方が正確でしょう。本当に無駄な時間でした。

殺されていた方が時間の無駄にだけはならなかった。

わたくしがあいつらに勝てたのは、物心ついた頃には一人で戦い殺される覚悟が定まっており、同時に、あいつらが無知で愚かで不摂生な生活を送っていたからです。

あいつらが軽視していた学問と「あいつらが先に死ぬという事実」、それだけがわたくしの拠り所としたものであり、誰にも理解されない孤独感と憎悪と執念だけが、虐待者と戦う自分の力でした。

自分の勤勉さ、有能さではなく相手の怠惰、無能さが味方でした。

言い替えるなら、それ以外には何もない人間。それが、わたくしという虐待被害者です。



2022年5月5日 著作物です。無断転用は禁止します。 さとう院さとう(さとう社会・心理研究所)



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