さとう社会研究所・さとう心理コンサルティングでは、相談、助言を事業として行ってます。

さとう社会・心理研究所コラム


【開業12年目のご挨拶】「生き辛さ」と向き合い続けて


みなさん、ごきげんよう。

2023年は、さとう社会・心理研究所の開業12年となる年です。

ただ、本年はここ数年の様に、特別な記事やこれまでの振り返りなどは行わない事にしました。似たような内容になるからですね。

その代わりとして、有料メルマガにて2023年1月22日から24日に配信した「生き辛さ」に関する内容を基に、これを編集したコラム記事として公開することとしました。


一、わたくし自身の生き辛さ


今回は、手紙相談でもとても熱心な方から度々ご質問いただいている「わたくし自身が抱えている生き辛さ」についてです。

本サイトの自己紹介のページにおいて、研究分野を「人の苦しみに対する無理解・社会制度的無理解・自己の問題行動に対する無自覚、ハラスメント防止教育」としております

10年以上前からの結果論ではありますが、これは数多あろう生き辛さをそれぞれの側面からピックアップしたものです。


自分自身の苦しみについて話をする事には偏見や無理解を助長するリスクもあります。そのため、わたくしは特に控える様にしております。

また、手紙相談やYouTubeでのゲーム配信では度々触れているものの、言葉にする度に違和感を覚え公開できずにおりました。

ただ、今後も有料メルマガでは、この生き辛さについて、これまで以上に触れて行こうと考えております。


あくまで、わたくしにとっての生き辛さについてのお話になります。

言語化の難しさ故の乱文と思ってお読みください。


1、


わたくしが行き辛さを自覚したのは随分と子供の頃からでした。

家で求められる人物像と、学校や外で求められる「子供らしさ」とのギャップが大きすぎた事です。

ダブルバインドですね。

わたくしにとって虐待者との戦いとは、同時に周囲の無理解に耐え、孤独な人生を歩む事でもありました。


2、


学校や外で求められる「子供らしさ」が家で父母に求められるものの同類である事にも気付いておりました。

彼らが求める「子供らしさ」とは無知で愚かである事でした。

家で求められる人物像とはギャップはあるものの、 虐待父の求める支配と服従の形との同質性は、わたくしに警戒心を抱かせるに十分なものでした。


3、


子供の頃のわたくしは父から暴力を振るわれない様に必死に考えて振る舞っておりました。

それに対し、学校や周囲の大人たちからは「変われ」と言われ続けました。

これが、わたくしにとっては最初の生き辛さだと思います。


二、「生き辛さ」とは何か?


前回の続きです。前回は、わたくし自身の生き辛さについて少し述べました。

今回は、わたくし自身に加え、これまでお話をうかがってきた中から「生き辛さとは何か?」を考えたものになります。

今回も言語化の難しさ故の乱文と思ってお読みください。


1、


そもそも生き辛さとは何なのか?

わたくしは、生き辛さとは虐待や機能不全家族で殺されないための進化の結果だと考えております。

そして、周囲や社会とのギャップや無理解が生き辛さとして自他ともに自覚されるものであると。

「無理解」とは自分が理解できないもの、理解したくないものに対する攻撃。排斥、排除と言う形の防御行動でもあります。


2、


学校でのイジメも生き辛さとの共通点を感じております。

パワハラや体罰の企業文化や学校文化、ブラック校則や謎ルールなどと同様、 DVや虐待家庭や機能不全家族にも独自のルールや文化の様なものがあります。

恐らくは躾と呼ばれている類のものでしょう。

家では支配者である親の望む言動が出来なければ殴り殺されます。


学校での体罰と同じですね。

教員に媚びを売れなければ「行き過ぎた指導」とやらで大人に殴り殺され、 子供同士で歩調を合わせることが出来なければイジメと言う形で自殺に追いやられる。


わたくしにとって、一番恐ろしく常に警戒していたのは両親でした。

そのため、全力で親に合わせた結果、親に劣る教員に媚びを売る事も、子供同士で顔色をうかがう事も出来なかった。

その不健全な躾の結果、外では変人と心無い人ができてしまう。

これが生き辛さの入り口なのだと考えております。


3、


わたくしが虐待家庭で育っていなければ今の様な生き辛さを抱えていなかったのか?

自分自身の家庭の違和感と学校や周囲の大人との言動の同質性を感じることが出来たのか?

これは流石に分かりません。

ただ、虐待されていなければ学校で被害妄想や嘘吐きと嘲笑われる事はなかったです。

先の通り、学校で教師や子供同士で合わせられていれば、変人呼ばわりされて孤独と生き辛さを感じることはなかったかも知れません。

「普通の人」として希望を持って生きることを許されていたかも知れません。


三、生き辛さとの向き合い方と関わり方


前回、前々回に続き今回は「わたくしが考える生き辛さとの向き合い方」について触れてみたいと思います。

中途半端な知識の提供は偏見や無理解を助長する恐れがあります。そのため、あまり具体的な対処法を示してきませんでした。

「かつて自分はこうして欲しかった。わたくしの心理コンサルティングではこうしている」というものを挙げてみたいと思います。


1、


生き辛さを感じている方は、「今のままで良い」と声に出して言ってみてください。

声に出して言うだけです。言えなければ病院に行きましょう。


生き辛さを抱えている方を救おうとはしないでください。直そうとはしないでください。

生き辛さに苦しむのは、自分にしろ他人にしろ生き辛さを問題視する方がいるからです。

生き辛さに苦しむ方は充分に苦しんでいらっしゃいます。

その親切心が生き辛さを抱えている人を更なる孤独へと追いやり苦しめます。


「あなたはそのままでいてください。

変わりたければ変わっていただき、変わりたくなければそのままでいてください。」

誰かを救いたいと思う方、これを声に出して言ってみてください。

声に出して言うだけです。言えなければ病院に行きましょう。


2、


どうして、わたくしがカウンセリングではなく心理コンサルティングをしているのか?

わたくしの心理コンサルティングとは、その方の抱えていらっしゃる具体的な問題に対処するものです。

問題解決のためのご自身の試行錯誤により自己肯定感を取り戻していただくための助言を提供しております。

もちろん、問題解決の中、指摘したり向き合わざるを得ないものもありますが、 本来はその方自身の在り様を問題視することを目的とはしておりません。

わたくしは変わりたい方のお手伝いはいたしますが、 自分から他人を変えようと思ったことは両親を見殺しにした頃から一度もありません。


3、


もし、あなたが本当に人を救いたいとお考えなら、相手を変えようとはしないでください。

相手の今を肯定してください。

生き辛さの正体とは大きく2つ、自分自身による攻撃と他人からの攻撃です。

あなたが変化を求めるのは相手の今が許せないからです。

他者を変えるという試み自体が相手を否定するものである事、攻撃や叱責の類である事を知ってください。


生き辛さについてはまだ言葉にするのが難しいため、 今後も検討、発信は続けたいと考えておりますので、今後とも宜しくお願いいたします。



2023年2月3日 著作物です。無断転用は禁止します。 さとう院さとう(さとう社会・心理研究所)



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