さとう社会問題研究所コラム

1、はじめに
さとう社会問題研究所では、東日本大震災についても高い関心を持ってコメントを続けております。
先日、奇しくもアメリカのテロと同日、東日本大震災から半年が経ちました。

震災発生の日の朝、総理大臣が外国人から政治献金を受けていたとの報道があり、その前に同様の献金を受けていた外務大臣が辞任したことで、前総理の辞任が問題になるところのことでした。
そのせいか、状況を最大限に利用して政権延命を図った前総理大臣のもとで半年間、あらゆる分野での対応は混乱と停滞が目立ちました。
その前総理大臣を引き継いだ内閣が今月から始動しました。
ところが、政権発足から 1週間ほどで、経済産業大臣が視察の後の発言を理由に辞任に追い込まれ、また、重要な時期の臨時国会を4日間で終わらせようとする総理大臣の姿勢に疑問が抱かれております。

今回は、東日本大震災から半年、報道から伝わる被災地の問題について考えてみたいと思います。

2、報道されている被災地の現状とその課題
さとう社会問題研究所では、2011年6月に「震災復興のための戦略構想」というコラムを書きました。
その中で、震災復興には 3つの条件をクリアすることが必要になり、第一に「被災者の生活資源の確保」、第二に「被災地域への金融特別政策の実施」、第三に「原発関連対策」と定義しました。
これらに共通する点は「被災者の平穏な生活を取り戻す」ということです。これは、当研究所が研究の対象としていることでもあります。
実は、第三の原発関連対策について、私は専門外ですので、触れなかったのですが、現在、原子炉の冷却で汚染された水の処理について、関西テレビの番組で、青山繁晴さんは、処理装置の稼働率が 90%を超え、冷温停止に向かっていること、なぜか、そのことが報道されないことを話していました。

今回も、震災復興の3条件のうち、第一の条件について、報道されている現状とその課題について考えたいと思います。

震災復興について考える場合、「被災者の生活資源の確保」が第一になると考えております。
これは、震災後、救援活動を終え、復旧段階にあることが前提のことなのですが、先日、被災地の現状について触れたテレビ番組によると、避難所を出て、せっかくの仮設住宅にも行かず、津波の被害にあった家に戻ったり、元の場所に家を再建する方がおられるということでした。

このことから、現時点で以下の問題が挙げられると思います。
一、家に戻った場合、電気、水道、ガスなどのライフラインは使えないことがある。
二、避難所生活の場合、集団生活のストレスが強い。
三、仮設住宅への入居は社会的に放擲されることを意味する。そのため、避難所生活に耐えるか、夜になると浸水するような沿岸の家にでも戻らざるを得ない。

「仮設住宅への入居は社会的に放擲されることを意味する」と書きましたが、
まず、仮設住宅に入ると、生活資源の有無については考慮されず、食糧配給が止まってしまう。
失業している方、事業ができなくなった方、すべてを失い精神的に行動できなくなっている方、いろいろな形で生活資源のない方がおられるはずです。
しかしながら、「仮設住宅に入ると『自立』が原則」になるそうです。
「『自立』できないから、自立をめざし仮設住宅に入る」はずなのに、仮設住宅に入っただけで自立できたと考えてしまうのは、「手段が目的化している」としか言いようがありません。
現実を見ずに考えられた、「理論上の政策」の証拠です。

つぎに、山間部にある仮設住宅に交通手段が手当てされていない。これは、市街地から離れた、山間部にある仮設住宅になるほど、より深刻になっていきます。
しかし、そういう場所であっても、バスもないため、タクシーを利用しなければならず、1回買い物に行くと往復で5千円ほどかかると仰った被災者がいました。
市街地から離れた場所や山間部など、このような不便な場所に宅地を造成する場合、通常なら、建設の時点で何らかの交通手段が確保されていなければ、応募すらないのが普通です。
ここに行かれた方は、家を失い、避難所での集団生活のストレスに耐えられず、「環境により選択の余地を奪われている状態」すなわち「『自己責任論』で片付けることが許されない状態」で入居されたはずです。
しかしながら、「交通会社への相談が遅れたからご理解願いたい」などと他人事のように、また、満足な生活資源が無く、食糧配給もない中、買い物に1回5千円もかかる負担に「理解しろ」で済まそうとするのは、ただの怠慢のように思えます。
現地の職員も被災され、大変だということを前提としても、仮設住宅は前政権が「お盆まで」と言っていたのだから、お盆までに解決されているべき優先課題であったことは明白だったと思います。

最後に、これらの問題点に対し、手当がされていないのに、2年間の期限がついている。
私には、これが一番あり得ないことだと思ったのですが、このように、入居者に多大な負担をかけ、安心できる状況が確保されていないうちから、出て行く時期だけは決められている。
私は、2年後、仮設住宅の方は寒空の中、ホームレスになっている姿を想像してしまいますが、考えすぎでしょうか?

私は、6月の「震災復興のための戦略構想」において、「被災者には『平穏な生活』を送っていただくこと」の必要性を訴えました。
それは、都市計画のため、元の場所に家を建てられなくても、ローンが残っていても、心配しなくて良い状況を作り出すことができれば、復興の前提となる復旧にはなり得ると考えたからです。
しかしながら、政府が考え実施する復興計画は、未だに、被災者に生活の不安という「針のむしろ」に座らせながら、東北の3県にわたる遠大な都市計画、社会実験の構想を行わせることになります。
その中で、被災者には大きな役割や負担が求められることは間違いないはずです。
しかし、社会的に放擲された状態で、それに本当に協力できるのでしょうか?

先日の番組では、防災都市構想のため、集団移転を地域住民で合意していたのに、政府が実施できる状況でなく、合意を離脱し、津波で流された場所に家を再建する方が続出している、それに対し、町は家を建てないようにお願いしていると言っていました。
再建する方にしてみれば、いつまでも、不安定な生活を送ることに耐えられないからでしょう。海辺のホテルが3階だけで営業を再開したとも言っていました。
このままでは、「復興計画」が実施される時には、すでに町は再建され、都市計画や社会実験のため、そういう方たちから、再び、生活資源を取り上げて実施することになります。
そうなると、「震災を機に」というものではありません。

3、おわりに
私が、この半年間のことの検討を通じ、改めて、訴えたいことは、災害復興は、地域住民の生活を復旧をすることが前提で、復旧することを最優先に行わなければならないということです。
そして、民政に携わるべき行政官や有識者には、その適性として、最低限の生活感覚が必要だということです。

今回の復興について考える中で、私の挙げた指摘を通してみた場合、被災者の生活や心理を真剣に検討していたと考えることは難しいと思います。
たびたび「被災者を置き去りにした復興計画」との指摘がありましたが、その通りだと思います。
今回の震災復興については、結局、その規模を大幅に縮小し、復旧を中心としつつ、都市機能と一部住民の移転による、小規模な防災都市化に止まることを余儀なくされる懸念があります。
その場合、現在検討されている遠大な防災都市計画や社会実験は、計画段階から実施不可能なものを考えていることになります。

交通が不便なところに仮設住宅作って、コミュニティバスも通さないような生活感覚のない人たちが都市計画を考えるのは初めから無理だったと断じざるを得ません。


2011年9月15日 著作物です。無断転用は禁止します。 さとうかずや(さとう社会問題研究所)


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