「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、2014年5月12日、秋田家庭裁判所委員会及び第18回秋田家庭裁判所委員会出席者、秋田県中央児童相談所児童心理班に対し、以下の内容の意見書の提出を行いました。
意見書は郵送の形式によって行いました。

請願解説:

「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、さとう社会問題研究所のクライアントでもある、闘う主婦!さんとの任意団体です。

詳細は、こちらをご確認ください。

闘う主婦!さんのブログ


請願書

請願事項:

我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、秋田家庭裁判所委員会及び第18回秋田家庭裁判所委員会出席者に対し、平成24年12月11日に行われた第18回秋田家庭裁判所委員会議事録概要の中にある発言について、客観的な第三者としての立場から以下の意見を提出し、今後の面会交流制度の運用に反映していただくことを強く希望します。

 尚、本請願書は、出席委員に児童相談所の職員が含まれているため、秋田児童相談所児童心理班にも提出しています。

請願主旨:

当会は、本来、言葉狩りに過ぎないものには関与しません。
しかしながら、第18回秋田家庭裁判所委員会議事録概要の、以下のやり取りの内容は、会議の議事録であり、かつ概要に過ぎないものである事を考慮しても、裁判所の名で公開されている性質上、社会的な影響が皆無とは言えないものです。
そのため、今後の調停や審判で、子供や社会の利益が阻害される恐れがあり、敢えて、意見書の形で、そのリスクを述べさせていただくものです。

請願理由:

第18回秋田家庭裁判所委員会議事録概要(以下、概要と表記する)にある面会交流についての議論には、裁判所による面会交流制度の運用の現状を踏まえていないか、敢えて踏まえなかったと思われる箇所がある。

以下では、概要の中から、当会が検討及び記載が不足していると考える箇所を取り上げ、筆者の独自の見解と併せ、そのリスクを説明する。

一、当会が検討及び記載が不足していると考える箇所とそのリスク

概要6頁から以下の発言内容。

(委員)「私は児童相談所で児童心理司をしているが,両親が,離婚や子供の親権者のことで争うような状況においては,子供が非常に混乱したり,迷ったりと,子供にとって過酷な状況になっている。そのようなとき,家庭裁判所の手続きの中で子供の意思を確認していただけるということは非常にありがたい。子供の意思確認にどれ位の時間をかけるのか。また,10歳より小さな子供の意思の把握はどうするのか」

(説明者)「家庭裁判所調査官としては,子供の意思の把握について,これまでも一生懸命研鑽を積んで取り組んできている。子供の意思を把握するに当たり,子供との信頼関係を築くため,まず一度家庭訪問し,子供の生活の場で交流して調査官に慣れてもらってから,子供の状態に応じて,次の調査方法を検討するという二段構えで対応している。調査には時間的な制限があり,子供との関係作りに長い時間を費やすことはできないので,制限の中で出来る限りの努力をしている。子供によっては,男女の調査官が組んで役割を分担し,子供が話しやすい環境作りもしている。子供の意思を把握する際には,子供の心情をくみ取ることに努め,子供の年齢,判断力,理解力に応じた聴き方を検討した上で対応している。4,5歳の子供でも調査の対象となることがあり,そのときは,生活の様子を確認しながら,困っていることはないかとか,父さん母さんにお願いすることはないかというアプローチの仕方をとっている。子供の調査をして感じることは,子供は何が一番困っているかというと,自分がどういう立場にいて,今,親はどういうことになっているのかということを親からきちんと説明を受けていないということである。それで子供が混乱し,悪影響を受けていると感じられる事例が多い。机上配布した『お子さんについての事情説明書』には,子供に説明しているかという質問項目を入れており,親に対して,可能な限り子供にも分かる言葉で説明してもらうことを促している」

概要の7頁から以下の発言内容。

(委員)「親が面会交流を求め,子供が親に会いたくないと言ったとき,子供の意思と親の意思とではどちらが優先されるのか」

(説明者)「調停においては,率直に子供がこう言っていましたと当事者に投げかける中で,親には,どうして子供がそういう気持ちになっているのか,そういう気持ちをどうやって解していったらいいのかということを,子供の視点に立って考えてもらうことになると思う。審判においては,面会交流は親の権利であるとともに,子供が健やかに成長するための子供の権利でもあるというのが一般的な考えであるので,子供の福祉を明らかに害すると考えられるときには,子供の真意かどうかを確認の上,面会交流については,一部制限されたり,禁止されることが考えられる」


 この概要では、「子供の意思」が「悪用されている言葉」である事が踏まえられていない。

まず、概要6頁の説明者の発言は、いわゆる「片親疎外」「引き離し」など、離婚や別居に伴う、機能不全家族化の一つの形を説明した側面がある。

次に、7頁の発言は、「当事者」という言葉を用いることにより、一見すると中立の立場からの発言のように受け取ることができる。

しかしながら、裁判所による面会交流制度の運用の現状は、そうではなく、概要の説明者の答弁では社会的に大きな誤解を招く恐れがある。

子供に関する調停や審判では、同居親や監護親が交渉の主導権を持つことが当然で、その意向が調停や審判の中でも最重視されている。そして、別居親の意向は、まったくと言って良いほど軽んじられ無視されていることは、この問題にわずかでも関わる者には周知の事実である。
特に、同居親が別居親に対し、子供を逢わせる事について、強く拒絶的な態度を示している場合、「子供の意思」は、別居親に子供と会うことを諦めさせる目的でも使われている。

 また、説明者の発言の最後には、「子供の福祉を明らかに害すると考えられるときには,子供の真意かどうかを確認の上,面会交流については,一部制限されたり,禁止されることが考えられる」とある。
しかしながら、「子供の福祉」という言葉は、関係者には広く使われているが、法律上の明確な定義がない。
また、子供自身が子供の福祉など考えられる訳もなく、最終的には「裁判官の解釈」、つまりは「監護親や同居親の意向」によると言葉を変えて述べているに過ぎないものである。
その上、審判では、その定義不明な言葉を理由に、面会交流の制限や禁止をするなど、一般的には面会交流を申し立てる別居親に不利益になる事にも踏み込んだ発言もある。

そもそも、調停とは、当事者が和解に向けて努力すべき場であり、7頁の説明者の前半の言葉がそれである。そして、審判とは、本来、その和解に至らなかった部分を補完するために存在する制度である。
 しかしながら、説明者の答弁は、この点を回避し、「裁判所は、子供の福祉と言う定義不明な言葉を理由に、面会交流を申し立てた別居親には、面会交流の制限や禁止をする事ができる」と、あたかも、それが当然とばかりに述べているものである。

 これは、子供に逢えない親にとって唯一の子供との拠り所ともなっている、面会交流調停や民法766条の「面会及びその他の交流」の意義を裁判所が軽視しているということを意味している。
 なぜならば、申し立てた者に対し、制限や禁止をするという事は、申し立てそのものに意味が無いばかりか、法の制裁を準備しているという事の証左だからである。
そして、そういう形で面会交流を申し立てる一方当事者を軽視し、同居親や監護親の意向を重視している感覚で、「子供の福祉」とやらを考えているという事も意味している。
これは、要するに、最初から公平性が損なわれているという事である。

当会は、この事を見過ごすことが子供の未来と社会の利益にとって、極めて大きなリスクとなっていることを第一に指摘する。

面会交流に対する裁判所の姿勢に付いて、筆者の元に寄せられた相談の中にも、面会交流を、あたかも「同居親と裁判所からの恩恵の類」、もしくは「別居親の我侭」として、当事者が公平であるはずの調停の場で、調停委員や裁判官、近年では、専門家として出席した精神科医から非難や不適切な発言を受けたというものもある。
 概要7頁の説明者による「審判による、定義不明の言葉を理由とした面会交流の制限や禁止」という言葉は、この「面会交流は裁判所からの恩恵である」という考えを反映したものであると言わざるを得ない。

仮に、裁判所が、「面会交流はプログラム規定であり具体的権利ではない」との立場を採ったとしても、それは、同居親や裁判所からの恩恵の類、もしくは、別居親の我侭であるという「人格的非難の道具」という法解釈であってはならないことは明らかである。

二、「離婚による機能不全家族化」を踏まえた「子供の意思」に対する検討が不十分である

1、離婚や別居が「子供の意思」に与える影響とそのリスク

概要の説明では、いわゆる「PAS」(片親引き離し症候群)を意識し、その言葉を回避する目的があるのかは不明だが、明らかに「親が子供に言わせた場合」が想定されていない。

筆者は、離婚を巡る期間には、「同居」「別居」「再婚」という、3つの危機的な局面があると考えている。これが子供に与える心理的影響は極めて大きい。

まず、「同居の危機」とは、父母が同居しながら、子供の前で、あらゆる形で争う事である。
次に、「別居の危機」とは、片親が子供を置いて家を出る、子供が片親に連れられて家を出る事である。
最後に、「再婚の危機」とは、父母が離婚後、監護親となった者が再婚をする事である。

この3つに共通しているのは、巻き込まれる子供は、その「意思」がまったく考慮されていないことも多い事。そして、父母からの免れる事のできない心理的影響が極めて強いという事である。

特に、別居の危機では、子供は親に強制される形で家を奪われ、望まぬ形で親も奪われる。この時、子供の意思はまったく考慮されない。
そして、この経験により、子供は強い不安に取り付かれ、一緒にいる親に過剰なまでの気を遣う事になる。たとえば、「居ない親の悪口を言う」「別居親に会いたくない」というのは、「片親引き離し症候群」(PAS)の症状としても言われているが、疾患と捉えることは適切ではなく、「同居親による支配による心理的な影響」と考えるべきである。
これは、いじめの構図とも同様である。片親が居なくなった、子供にとっては片親を奪われてしまった事で、「見捨てられ不安」が常に子供に付きまとう。そのため、「陰口」の類、他者への否定的な感情を共有する事で、ある種の絆を確認する行為であると同時に子供にとっては、不安に対する保身の意味ももつ。

そのため、これは、「機能不全家族の虐待被害児」と同様の心理状態として説明されるべきものでもある。
そして、筆者自身が虐待被害を経験している立場からも、その心を縛る不安の鎖は、事実上、同居親から子供に対する支配である。子供が本来持つ自由な思考を、同居親により制限されている点で、より深刻なものであると考えている。

 さらに深刻なのは、機能不全家族化により、同居親が、自らの野心に過ぎない願望を子供に汲み取らせている事を、子供に対する甘えであると気付かず、子供からの自らへの愛情だと錯覚してしまうことである。
そして、本来、調査官は、こういう同居親や子供の態度に違和感を覚えるべきだが、調査官自身が子供に甘えている場合、そういう感覚が働く訳もなく、その「子供の同居親に対する愛情」とやらが、調査官調査や試行面会の中でも見受けられる事例がありながら、別居親に対するネガティブな評価に利用されてしまっていると思われる事例さえ存在する。

 2、面会交流の制限や禁止を気安く言葉にできる事が子供に対するリスクとなる

元から親が居ない、虐待を受けているなど、親に対する愛情が希薄となる事情がない限り、子供にとって「親」とは「両親」であり「父母が揃っている信頼と安心感」を意味する。
 その「親を失う」という事は、物理的に『親が居なくなる」というだけではなく、「親に心を殺される」「親からの愛情を失う」「親に対する信頼を失う」という心理的な側面が極めて強い。子供は、物理的に別居親だけではなく心理的に同居親も同時に失うのである。

しかしながら、こういう形で片親を失うことは、両親を失うことと同義である事に対する社会的認識が極めて不足しているのが現状である。この事は、離婚や別居の当事者である子供の両親も理解ができていない。
故に、裁判所は、刑法犯となる「連れ戻し」は許容しないが、子供の意思を見ない「連れ去り」を許容する。その判断の分かれ目は、極めて単純なもので、誰も子供の意思など最初から最後まで見ていないからである。

筆者は、離婚や別居に伴い、子供が親を失ってしまうことを「離婚や別居による機能不全家族化」と呼んでいる。もちろん、これは、別居や離婚をした家庭は機能不全家族となるという意味ではない。重要なことは、「子供が心理的に親を失ったか否か」という点である。
この事は、虐待など、子供に危害を加えていた場合を除き、「子供が逢いたくないと言っている」のか、「子供に逢いたくないと言わせているのか」という問題が常にある事を踏まえて子供の心理を観測しなければならない事を意味している。
監護親に対する過剰なまでの気遣いと、見捨てられ不安に対する恐怖からの強い保身の意図、親が子供の心を縛る見えない鎖は、親が思っている以上に強力なものである。裁判官や調査官、調停委員であっても、それを把握できるなどと考えることは、子供の心を軽んじているが故である。すべての面会交流に関わる者は、その事を十分に理解して調停や審判に臨まねばならない。

しかしながら、概要にある説明者の答弁は、「子供が同居親の意を汲んで意思表示をしている場合」が、まったく考慮されていないものとなっており、これらの事を踏まえたものではない事を意味している。

そして、調査官が家庭の調査をしていながら、「子供の意思」に対し、ただ「子供がいやだと言っているから」というだけで、一切の感覚を働かせず、結果に大きな影響を及ぼす報告をするのであれば、それは「子供の意思を尊重している」ではなく「盲従している」に過ぎないものである。

もちろん、その盲従の対象者は、子供であり、事実上は、その同居親という事である。

そういう形で書かれた報告書、そういう前提で行われる調査は、決して公平なものとは言えないものであろう。それならば、そもそも調査官など必要ないし、同居親が意見書を書いていれば良いのである。

三、改めて客観的な立場から面会交流に対する意見を述べる

 本請願書は、第18回秋田家庭裁判所委員会議事録概要の内容から、子供の意思を尊重すると言いながら、その実、同居親に盲従しているリスクが考慮されていない点、及び、子供の福祉と言う定義不明な理由を持ち出せば、審判により、面会交流の制限や禁止ができるという説明が社会と子供に及ぼすリスクに対し意見を申し述べたものである。

 改めて申し上げておくが、面会交流は同居親や裁判所からの恩恵の類ではない。

 子供や離婚を巡る裁判所の在り様は、法も法の下の平等も、子供の意思も無視した暴走状態、独走状態にあるという事は、東京高裁の裁判官には、親権を巡る裁判の中で「大前提がある」と発言し、「親権に関する争いに対する裁判所の立場は不公平である事」を宣言した者がいた事からも明らかである。
最近は、個別に調査され作成されるはずの調査官報告の内容や方向性に類似の物があり、「調査官報告は、同居親に有利に、別居親に不利になるよう、テンプレートが存在している」という意見もある。
もちろん、この真偽は定かではなく、憶測に過ぎないものだが、面会交流に関する調停や審判の結論の類似性が、これらの憶測を呼んでいる指摘を免れる事はできないと考える。

そして、面会交流調停や審判、調査官調査は、子供のご機嫌取りでも、もちろん、一方当事者である同居親のご機嫌取りでもない。
調査官だけではなく、調停の全参加者が当事者や子供の心理状態に対し、最大限の感覚を働かせるつもりで臨まなければ、同居親と別居親の感情的な対立を乗り越えて子供の利益を守ることなどできない。


以上


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さとう社会問題研究所「請願書」