「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、2014年7月19日、横浜家庭裁判所委員会に対し、以下の内容の意見書の提出を行いました。
請願書は郵送の形式によって行いました。

請願解説:

離婚や別居に伴う連れ去り、引き離しにより子供が受ける心理的な悪影響、それに対する特徴的な反応は、「片親疎外症候群」「片親引き離し症候群」(PAS)、または、「洗脳虐待」と呼ばれています。

私は、これに対し、アダルトチルドレン、虐待や機能不全家族の被害者やサバイバーのカウンセリングやコンサルティングを主に行っている立場から、「離婚や別居に伴う機能不全家族化の心理」という視点からの発言を続けています。

今回は、そういう家庭で育つ子供たち、さらに、育った子供たちが、大人になってから、どのような苦しみを抱えて人生を送らなければならないか、具体的な記述を試みたものでもあります。

ただし、こういう苦しみに対し、部外者が軽々しく触れる事は、返って、苦しみに塩を塗り込む事でもあります。


記憶に基づく苦しみは、人格と同一であり、その方のテリトリーです。

治療や改善の対象にはなり得ませんし、しようとする事も許されないことです。

「他人の苦しみが分からないのなら、知っていても、自分からは決して口に出さず、触れないこと」

「他人の苦しみが分からないのなら、公然とそれを無視をしたり、自分の解釈を口には出さない事」

「他人の苦しみが分かるのなら、それが一番、理解から程遠いものだという事」

これは、矯正ではなく受容を前提としている私が、カウンセリングをする上で心がけている事でもあります。

それゆえ、今回は、知識や解釈ではなく、具体的な記載が望ましいとも考えました。


「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、さとう社会問題研究所のクライアントでもある、闘う主婦!さんとの任意団体です。

詳細は、こちらをご確認ください。

闘う主婦!さんのブログ


請願書
(注:事件の特定につながる情報、当事者の個人情報に該当する部分は表示しておりません)


請願事項:

我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、横浜家庭裁判所委員会に対し、平成24年11月28日の横浜家庭裁判所委員会議事概要の中にある発言について、客観的な第三者としての立場から以下の意見を提出し、今後の面会交流制度の運用に反映していただくことを強く希望します。

請願主旨:

当会は、本来、言葉狩りに過ぎないものには関与しません。
しかしながら、横浜家庭裁判所委員会議事概要の、以下のやり取りの内容は、会議の議事録であり、かつ概要に過ぎないものである事を考慮しても、裁判所の名で公開されている性質上、社会的な影響が皆無とは言えないものです。
また、御庁では、最近も裁判官の個人的野心による交流遮断の判断がなされ、子の福祉や利益を害される事になっています。
そのため、敢えて、意見書の形で、そのリスクを述べさせていただくものです。


請願理由:

平成24年11月28日横浜家庭裁判所委員会議事概要(以下、概要と表記する)の出席者のご発言について、それとは異なる立場から、客観的な第三者としての意見を申し上げ、今後の面会交流制度の運用に役立てていただきたく思います。

一、概要の中で当会が検討及び記載が不足していると考える箇所とそのリスク

概要2頁から

「家庭裁判所調査官の調査により子どもの状況や意向を確認し,その調査結果に基づいて,代理人も子どもを中心とした考え方に立って動くべきだと感じている。」

 このご発言に付いて、調査の場面で子供が常に真実を申し述べる保証はなく、また、調査報告に「子供の言葉」として、真実と異なる記載が為されていると当事者が指摘する事もある。この場合、代理人は、子供ではなく「誰か」の立場に立たされることになる上、それにより、子供の利益や福祉が損なわれる危険がある事を常に認識しなければならない。

概要3頁から

「2点目は,面会交流は,法律で強制したとしても,無理矢理では長続きせず,子どものためにもならないということである。周りの人たちは,もっと根本的なサポートを行うことが必要である。」

このご発言に付いて、面会交流は,法律で強制したとしても、無理矢理では長続きせず、子供のためにもならないということであるが、どうして、子供ためにならないと言えるのか。
世の中の一般的な家庭では、親子は互いに憎みあっていても共に過ごさなければならない時間が数十年に及ぶ事もある。
しかしながら、夫婦の離婚や別居のような婚姻破綻が争われる場合、または虐待、DVなどでも、生命身体に危害のある場合を除いては、行政や司法により、家族や親族の交流を遮断する法制度は事実上存在していない。それなのに、どうして、別居や離婚をした親子に限っては、わずかな時間の面会交流の強制が子の利益や福祉に反し、司法や行政は、長期にわたる交流遮断を行う形で子の福祉や利益を守れるという論理になるのか。

そして、私見に過ぎないが、筆者は、子供の利益、子供の福祉には、たとえ無意味で無価値であったとしても、親と子供が過ごす時間、そのものが含まれていると考えている。
面会交流制度が、離婚や別居により、親と過ごす時間を奪われた子供が、親と過ごすための時間であると考えるなら、むしろ、面会交流は親子の義務と考えるべきであり、法律でこれを強制する問題は、ただ、司法による家庭への干渉の程度に止まる。

 さらに、「周りの人たちは,もっと根本的なサポートを行うことが必要である」とは言うが、その「周りの人たちが行うべき根本的なサポート」とは一体何なのか?
 御庁を含め家庭裁判所では、第三者機関の活用などを申立人が提案した事例であっても、その提案を無視する形で現在も交流遮断の審判をなさっている。その審判でも根本的なサポートとやらの内容には一切触れられた形跡が無く、ただの検討倒れである。
よって、委員会にかかる経費、すなわち税金の無駄の上、交流遮断で社会的損失が倍増していると指摘せざるを得ない。

「3点目は,面会交流に関しては,丁寧にやっていくこと,時間をかけることが本当に大切だということである。例えば,今は,非監護親に会いたくないと思っている子どもでも,16歳くらいになったときに,自分のルーツを探したくなって,ふと非監護親に会ってみようという気持ちになるときもある。今,子どもに会いたいと言っている非監護親に10年も待つように言うのはなかなか難しいが,少なくとも子どもの意向確認等を非常に丁寧にやっていかなければならないと思う。家事事件手続法のもとでは,子どもの手続代理人という制度もできたので,司法においても子どもに寄り添う人間を作っていただくなどして,丁寧に進めていただくことをお願いしたい。」

このご発言に付いて、すでに触れている内容だが、御庁では、最近も面会交流を取り消し、交流遮断をした審判があった。
「丁寧に時間をかけて面会交流」と言うのは、ただの交流遮断の口実にしかなっておらず、先の「周りの人たちは,もっと根本的なサポートを行うことが必要である」と同様の詭弁である。

「子供が大人になってから自分で調べて会いに行けば良い」は、あくまで、大人が子供の成長に依存しているだけの話であり、面会交流でも「周りの人たちによる根本的なサポート」でもない。家庭裁判所や調停、審判の存在自体が無駄であるという自白である。

その上で、裁判所は、子供の成長の早さをまったく理解できていないのではないかという疑問がある。
非監護親が子どもに逢えない間に子供は別人のように成長を遂げてしまう。離婚や別居は夫婦間の問題に過ぎず、親子の問題ではない。しかしながら、面会交流調停は、その実、極めて長期間にわたる人質交渉となっている。また、面会交流の審判では、民法766条で定められている子供の利益よりも監護親の感情が最も重視され、反対に、同じ親であるにも関わらず、申立人の感情は無視をされ、それが交流遮断の理由にもされた事例もある。

これらの事実を委員会の出席者は十分に理解しているはずである。そうでありながら、このようなご発言とは、会議そのものが税金を使っての、ただの交流遮断のアリバイ作りに他ならない。

また、家事事件手続法の手続代理人という言葉も出ているが、この制度を利用して、子供自身が面会交流調停を申し立てたケースは実際にあるのか?
子供に対し、どのように、この手続代理人制度の存在を認知してもらい、子供自身の申立で利用してもらう制度となっているのか?
この点に付いて、裁判所からのメッセージは、どの程度発信されているのか?
子供が自分で手続を執ることができなければ、それこそ意味が無い。
制度だけ作って、後はほったらかしと言うのでは、何もしていない事と変わりなく、裁判所が子供の福祉や利益など、まったく考慮しないことの自白である。

 概要3〜4頁から

(委員) 「行政の取組を紹介すると,平成24年4月施行の民法改正を受け,国の補助事業のメニューの一つとして,継続的な面会交流の支援を行う事業が設けられている。現在,東京都ではこれを実施しており,その内容は,支援員を配置し,面会交流の日程調整や交流場所のあっせん,面会交流についての助言等を行うというものである。支援は,月に1回までを原則とし,最長が1年間となっている。この事業を利用するには,面会交流の合意が両親間でなされていることが必要であり,また,所得制限がある。
神奈川県では,この事業はまだ実施していないが,養育費相談の中で相談員が面会交流についても案内することがある。また,法務省や厚生労働省から配布されたパンフレットを,各市町村の窓口に置いている。」

概要4頁から

(委員) 「近年,家庭や子どもや高齢者の問題が右肩上がりに増加していることを考えると,面会交流の問題に取り組むNPOの団体があるのであれば,裁判所がそのような団体と連携や分担を行うことはできないのか。」
(オブザーバー) 「面会交流の支援等を行う団体としては,公益社団法人家庭問題情報センター(FPIC)というところがあり,近々横浜にもその支部ができると聞いている。ただし,裁判所が特定の団体と連携することはできない。当事者の方から,このような団体の利用をしたいという話があれば,調停の中などでその利用について検討していくことはあると思う。」

 このご発言に付いて、裁判所委員会では、面会交流の支援事業などの活用について、このようなやり取りがありながら、実際の面会交流調停や審判の中では、前述の通り、申立人が提案した事例であっても、まったく検討がなされないまま、交流遮断の決定を下す事も御庁での事例も含めて少なくは無い。


二、概要別紙の中で当会が検討及び記載が不足していると考える箇所とそのリスク

別紙3 3頁から

「第4 心理学ないし児童精神医学の視点
1. いわゆる片親引き離し症候群(Parental Alienation Syndrome 略称PAS)のようにすでに欧米で否定されているような理論を今さら導入しようとする愚が法律に携わる者においてすら行われている。
2. そして,現時点において,PAS以外にも,親との面会が直ちに子の福祉に適うとの結論を基礎付ける理論は存在しない。
3. むしろ,児童精神医学の研究によれば,DV被害について子への深刻な影響を指摘する論考が一般化しつつある。」

 これらの内容に付いて、1、のPASとやらが欧米で否定されたとされる場合、たとえば、米国心理学会が2008年1月1日に出した、以下のコメントが根拠として挙げられる。

January 1, 2008
Statement on Parental Alienation Syndrome

The American Psychological Association (APA) believes that all mental health practitioners as well as law enforcement officials and the courts must take any reports of domestic violence in divorce and child custody cases seriously. An APA 1996 Presidential Task Force on Violence and the Family noted the lack of data to support so-called "parental alienation syndrome", and raised concern about the term's use. However, we have no official position on the purported syndrome.
The American Psychological Association (APA), in Washington, D.C., is the largest scientific and professional organization representing psychology in the United States and is the world's largest association of psychologists. APA's membership includes more than 150,000 researchers, educators, clinicians, consultants and students. Through its divisions in 53 subfields of psychology and affiliations with 60 state, territorial and Canadian provincial associations, APA works to advance psychology as a science, as a profession and as a means of promoting human welfare.

(引用元 http://www.apa.org/news/press/releases/2008/01/pas-syndrome.aspx)

その中の以下の部分、

An APA 1996 Presidential Task Force on Violence and the Family noted the lack of data to support so-called "parental alienation syndrome", and raised concern about the term's use. However, we have no official position on the purported syndrome.

 これによると、2008年の米国心理学会には、いわゆる片親疎外症候群を自分の立場からサポートするに足りるデータが不足していた事を述べた上で、データが不足している状態のまま、「片親疎外症候群」という言葉だけが、さも、「面会交流をしない子供がなる精神疾患」という使われ方をされ、よって面会交流を認めるべしという、安易な主張や判断がなされる事に対して懸念を表明したものだと書かれている。
 しかしながら、データが不足している状態のまま、言葉だけが何かしらの意味を持つかのような使われ方に対する懸念を表明したものであり、米国心理学会としては、それ以上の公式な立場を採っていないとも表明している。

 そもそも、データ不足で公式な立場を表明できない米国心理学会が、データ不足の疾患を否定し、その不存在を表明したと考えるのは曲解に他ならない。

さらには、そのような「理論を今さら導入しようとする愚が法律に携わる者においてすら行われている」という事であるが、それは、平成24年4月の改正により、離婚について定めた民法第766条第1項に「面会及びその他の交流」の文言が加筆された以降も、御庁のように、多くの家庭裁判所では変わらず交流遮断の判断がなされているからである。

民法第766条第1項に定められた「面会及びその他の交流」とは、離婚や別居に伴い、当然のように行われている裁判所による交流遮断に対する多くの異議を背景として成立したにも関わらず、面会交流の現状に大きな変化をもたらさず、離婚や別居に伴う別居親と子供との交流遮断が、さも当然の事のように行われ続けているからである。

 そのため、より直接的、より強制力のある法律により、社会の歪みの改善を求めるのは、むしろ当然の事であろう。

次に、「現時点において,PAS以外にも,親との面会が直ちに子の福祉に適うとの結論を基礎付ける理論は存在しない」という事だが、この言葉には意味が無い。なぜなら、子供との面会をさせないという事が、直ちに子の福祉に適うという結論を基礎付ける理論も存在していないからである。

 面会交流がゴリ押しされる流れがあることに対し懸念を表明するご趣旨なのは分かるが、世の中には、「同居親の葛藤」や、「同居親に対し迎合する裁判官からの格別の配慮」などという、それこそ、子の福祉とやらとは全く無関係な理由で交流遮断をされるケースも多く存在している。

 面会交流が子の福祉に適わないならば、その時には、子供から交流遮断を申し立てられるよう配慮する制度運用を行うようにすれば良い事。それこそ、手続代理人の存在意義ではないか。

 そもそも、結果に付いて論じることは、それ自体に意味がない。
面会交流を行う前から、子の福祉に適うか適わないかを、子供の居ない場所で判断する大人たちの傲慢さこそ、子の福祉や利益を無視した在り様ではないかと筆者は考える。

最後に、「児童精神医学の研究によれば,DV被害について子への深刻な影響を指摘する論考が一般化しつつある」と言うことだが、DVとは、本来、「家庭内暴力」を意味する言葉である。日本では、それを「配偶者間暴力」と、意図的に言い替えているだけである。
その上で、そもそも、暴力が人の心理に良い影響を与えるなど、児童心理学の研究を引き合いに出すまでも無いことであり、面会交流に関する議論の中で、このような話題が上ることに対し、筆者は、強い違和感を覚える。

 また、面会交流調停では、DVを理由として面会交流を拒否する事例もあるが、離婚や監護者指定の争いを有利に進めるため、物的な証拠の残りにくい精神的なDV被害を訴える事例もあり、離婚裁判でも、配偶者が訴えたDV被害の主張を虚偽の内容として退けた判例があるとうかがっている。
 では、その虚偽のDV被害の主張と言うのは、誰が考案し、面会交流を拒否するための法廷戦術として実用化をしたのかという疑問も残っている。


三、離婚や別居に伴う機能不全化した家庭での子供の心理

 1、PASを機能不全家族の論理で説明する

さて、安易にPASを否定した点に付いて、2014年2月10日付で御庁に提出された、○○○さんの意見書でも、PASの存在を安易に否定した事に対し反論があったとうかがっている。当会としても、離婚や別居に伴う機能不全家族化の心理の観点から、安易なPASの否定には賛成できない
 しかしながら、筆者は、面会交流をしないことによる子供の心理的な悪影響に付いては、「離婚や別居に伴う機能不全家族化の心理」で説明すれば良く、わざわざ、「面会交流しない子供がなる精神疾患」などという概念を持ち出さなくても良いと考えている。

 機能不全家族とは、いわゆる虐待のある家庭である。この虐待とは、身体的な暴力だけではなく、心理的、経済的なものも含まれる。また、強い排他性と閉鎖性による、親の子に対する抑圧や支配、見えない鎖で心を縛られている状態と言い換えることも可能である。

 筆者は、離婚家庭においても機能不全家族化しやすくなると考えている。機能不全家族の親とは、要は自分の事しか考えられない親である。自分の心の空白を埋めるために子供を利用する家庭が機能不全家族の姿の一つである。よって、夫婦関係の破綻による心の空白を、子供を使って埋めようとする心理、それが離婚や別居に伴う機能不全家族化である。

 以下、機能不全家庭の子供、その中で育った子供の将来に及ぼす心理的な影響について、主に精神疾患の方に対する筆者のカウンセリングでのやり取りなどから簡潔に記載する。

機能不全家族では、子供は親の顔色をうかがい、親の愛情を受けるため、または、親に殺されないため、親に喜んでもらえる人間を必死で演じ続けることを余儀なくされる。

 子供には、少なからず親の要求に応えようとする心理はあるが、機能不全家族では、親子が共依存といわれる、互いに依存し合う不健全な状態となる場合が多くなる。そのため、子供は、それが自分の意思であり主体的なものと認識している言動であっても、後々、それが親からの抑圧によるものだと判明してしまい、それこそ、アイデンティティとやらが拡散してしまう場合もある。

具体的には、将来の夢が該当する。幼少期から、そういう家庭で育っている場合、本人の中では、それを「目指す」と認識しているのかも知れないが、実際には、「目指すことを強制される」と言うべきであり、これが抑圧である。
 他に自分の望むことがあっても、それを口に出すことも許されないまま大人になる。仮に、その「表向きの夢」が叶ったとしても、それ自体が他人の抑圧に他ならぬため、夢を叶えた事による虚無感を抱え、早々に自分探しの旅に出なければならなくなる場合もある。
また、その夢が叶えられなかった場合でも、親の失望と自らの人生の挫折に他ならず、結局、家庭内での地位の更なる低下と自己肯定感の喪失という事になってしまう。

家庭と外で求められる人物像が異なる場合、そういう子供は、家庭の外では矛盾した指摘を受け続けることもある。
本来の自分の人格も分からなくなっている上、外での矛盾した指摘は否定的なものである場合も多い。それは、家庭での要求に応え続ける子供にとっては、自らの人格を否定するものに他ならず、どうして良いか分からなくなってしまう。

また、根本的には自分の感情や意思などは無視されるため、感情や意思を押し殺すことが普通になってしまう。
 言い換えるなら、「常に嘘を吐いている状態」でもある。その、嘘を吐く対象とは、親であり他人であり自分自身である。相手に受け入れられる言葉を、相手に合わせて言わなければならないため、他者からはタダの嘘吐きか、人形にしか見えない事もあろう。

 自分が他人から利用価値以外で大切にされたこと、愛されたこと、好意を向けられたことが無いため、自己肯定感が低い、もしくは欠如していて、自分に自信が無いし持てない。
 他者からは、そういう自分の内面に対して否定的な評価しか受けず、意見をしても家庭内では無視されるため、さらに、自分が無価値な存在なのだという認識を強くしてしまう。
 常に、親の望むような言動を心がけなければ人格を否定されるような言葉を浴びせられるため、子供なのに早熟した言動になってしまう。その、親に求められた人格を演じることで、学校などでは「子供らしくない」「子供らしくしろ」と不当な叱責を受けてしまう。
家と外では矛盾した評価を受け続ける事になるが、親に逆らう事は、子供にとっては「死」そのものであるため、学校では先生や友人から奇異な人間として見られる。さらには、大人になってからも、人としても扱わないことに耐え続けることを余儀なくされてしまう。

しかしながら、このような家庭と学校での、過度のストレス状態で子供時代を過ごす事で、子供は精神に不調をもち易くなると説明されている。アダルトチルドレンや虐待のサバイバーなども、その家庭は機能不全家族である事が多く、以上の記述と同様である。

 もちろん、このような事を言っても、誰も理解してくれないし、助けてもくれないため、子供は一人で耐え、一人で戦い、一人で全てを為す事を覚え、他者の干渉を許さなくなる。それこそが人間不信であり、対人関係のトラブルを抱え易くなる原因の一つといえる。

 2、筆者の見解

以上のように、いわゆるPASとは、監護親による抑圧と子供が同居親の望む人格を演じ続けることという、機能不全家族の親子関係を「面会交流をしないとなる精神疾患」として説明したものに過ぎない。この場合の、親が子供に望む人物像とは、監護親にとっての敵、すなわち別居親を憎み共に攻撃することである。それは、監護親自身が意識的に子供に要求する場合よりは、子供が監護親の寂しさや心の空白を見抜いた上でのものであることが多いと思われる。
なぜなら、監護親と子供との関係が元から悪かった場合、依存関係などできる余地もなく、たとえ、親の意を汲んで行動する事はできても、本心では、その影響を全く受けていない場合も多いからである。

 とはいえ、このような状態もまた、子供の心理に良い影響を与える訳が無く、子供の成長発達を阻害し、子の福祉や利益も大きく損なうものである。

 筆者は、これに対し、「面会交流をすればPASが治る」という趣旨の主張により面会交流を求める事や認める事は間違いだと考えている。しかしながら、機能不全家族とは、極めて排他的で閉鎖的な家族でもある。機能不全家族では、子供は親の満足の道具としかみなされないため、子供の意思が尊重される事はない。子供が尊重されるのは、親の要求に応えている時だけである。決して、ここに子供の福祉や利益などは存在しない。

 機能不全家族やアダルトチルドレン、虐待被害者やサバイバーの方の相談を多く受ける筆者にしてみれば、自分勝手な理由で離婚と交流遮断を求める親も、自分の態度を顧みることなく無神経に同居や面会交流を求める親も、子供に望ましい親とは思えない。

しかしながら、裁判所では、同居親への迎合と格別の配慮、それに対する別居親の社会的排除という、極めて家族心理的にも不健全な対応を行う。
安易な交流遮断により裁判所が同居親に与えた勝利の喜びは、子供に対する愛情として還元される事はない。もちろん、これは、別居親に面会交流を認めても同じ事である。面会交流で子供に与えられる優しさは愛情そのものではない。

しかしながら、面会交流とは親が子供に何を与えられるかが問題ではない。なぜなら、面会交流ができる関係そのものが、子供の安全な成長と発達の基盤となるからである。
 その意味では、PASとは、子供ではなく大人の問題であろうと筆者はご意見申し上げる。


以上


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