「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、2014年9月20日、国家公安委員会委員長、警察庁長官、最高裁判所事務総局に対し、以下の内容の請願を行いました。
請願は郵送の形式によって行いました。

請願解説:

今回は、当会初の政策提言の請願です。
これまで、会の名称の通り、面会交流に対する調停や審判、または、裁判所に対しての意見を述べてきました。

今回の請願では、司法行政を司る、最高裁判所事務総局に対し、行政機関との連携の提案をしています。
また、面会交流の事案では、現状、管轄外でもある行政府に対し、積極的に面会交流に関与する事を求める内容の提案でもあります。

警察に対し面会交流を求める事には、多くのメリットがあります。
ここでは、詳細な説明はしませんが、今回の請願では、そのメリットの一部について提案しています。

この政策提言の発端は、筆者が事業として行っている、さとう社会問題研究所の心理コンサルティングの一つ、「ハラスメント防止教育」の中で、具体的な面会交流方法の提案について検討した際に挙がったものです。

なお、本請願に依頼者はいません。
本請願にかかった経費は、以前、会に頂いた支援金から支出しています。
この場で感謝の言葉を述べさせていただきます。


請願書


請願事項:(国家公安委員会提出分)

我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局に対し、日本国憲法第16条及び請願法に基づき、以下の内容を提案し、今後の面会交流制度の運用に反映していただくことを強く希望します。

国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局は、虐待やDVを理由に面会交流に応じられない監護親のため、安全な面会交流を実現できるよう、それぞれが連携し、具体的な対策を講じ、警察はそれに協力をすること。

尚、本請願書は、警察庁長官及び最高裁判所事務総局に対しても提出しています。

請願事項:(警察庁提出分)

我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局に対し、日本国憲法第16条及び請願法に基づき、以下の内容を提案し、今後の面会交流制度の運用に反映していただくことを強く希望します。

国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局は、虐待やDVを理由に面会交流に応じられない監護親のため、安全な面会交流を実現できるよう、それぞれが連携し、具体的な対策を講じ、警察はそれに協力をすること。

尚、本請願書は、国家公安委員会委員長及び最高裁判所事務総局に対しても提出しています。

請願事項:

我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局に対し、日本国憲法第16条及び請願法に基づき、以下の内容を提案し、今後の面会交流制度の運用に反映していただくことを強く希望します。

国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局は、虐待やDVを理由に面会交流に応じられない監護親のため、安全な面会交流を実現できるよう、それぞれが連携し、具体的な対策を講じ、警察はそれに協力をすること。

尚、本請願書は、国家公安委員会委員長、警察庁長官に対しても提出しています。

請願事項:

我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局に対し、日本国憲法第16条及び請願法に基づき、以下の内容を提案し、今後の面会交流制度の運用に反映していただくことを強く希望します。

国家公安委員会委員長、警察庁長官及び最高裁判所事務総局は、虐待やDVを理由に面会交流に応じられない監護親のため、安全な面会交流を実現できるよう、それぞれが連携し、具体的な対策を講じ、警察はそれに協力をすること。

尚、本請願書は、国家公安委員会委員長、警察庁長官に対しても提出しています。

請願主旨:

当会は、家庭裁判所における面会交流調停及び審判の全参加者に対し、面会交流制度の趣旨および裁判官や調査官、調停委員等の当事者に対する公平な視点こそが子供の利益の基礎となる事をお伝えしている任意団体です。

 今回は、虐待やDVを理由に面会交流に応じられない監護親のため、最高裁判所だけではなく、国家公安委員会、警察庁も安全な面会交流の実現に連携して協力できるよう、政策提言をさせていただきます。

請願理由:

一、警察が安全な面会交流に協力する事による具体的な社会的利益

 本請願は、警察に対し、安全な面会交流の実現のため、最高裁判所事務総局と連携し、面会交流の場所の提供から警察官の立ち合いまで、政策として総合的な協力を求めるものです。

 面会交流に対しては、裁判所のほかにも、すでに民間には、ADRから面会場所の提供まで、さまざまな活動が存在しており、本来なら、警察が面会交流に対し、総合的な関与を行う必要はないと思われます。

 しかしながら、面会交流調停で監護親が面会に応じられない理由として、安全上の理由が多く挙げられています。

 たとえば、婚姻中の家庭内暴力、ドメスティック・バイオレンス(以下、DV)や子供に対する虐待を主張する監護親も少なくありません。
 また、DVや虐待のほか、面会中、子供を連れ去られる危険を主張し、面会を拒む監護親もいらっしゃいます。

 しかしながら、そういう監護親の中にも、面会交流の実現を希望しながら、婚姻中の辛い出来事があるため、その実現に躊躇なさっている方も多く、筆者も、そういうDV被害者のお気持ちをうかがった事があります。

 これに対し、警察は、個人の生命、身体の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、その他公共の安全と秩序の維持に当ることを責務としている行政機関であり、警察官は、公共の安全と秩序を守るため、日々、厳しい訓練を積んでいると思います。

そのため、面会中のさまざまな有事に対し、最も適切に対応することができると考えており、上に挙げた安全に対する当事者の懸念を払拭できるものと考えています。

わが国において、これは、警察だけが担える事であり、また、裁判所や、すでに存在している民間の取り組み、他の如何なる行政機関においても十分に担う事ができない事です。


二、警察法上の根拠

 警察法では、その第2条で警察の職務を以下のように定め、国家公安委員会、警察庁、各都道府県警察に対し、それぞれの範囲でその責務を果たすことを定めています。

(警察の責務)
第二条  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
2  警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

 以上から、警察は、個人の生命、身体の保護、犯罪の予防など、公共の安全と秩序の維持に当たることが任務であり、警察の活動は、この責務の範囲に限られ、その責務の遂行に当たっては、「誰か」のためではなく、公平中正を旨とし、日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用しなければ、これまでとは異なる形での活動も、決して禁止はされていないものと考えます。

 そのため、当会は、日本国の主権者の一人として、国家公安委員会委員長、警察庁長官を通じ、我が国すべての警察およびすべての警察官に対し、離婚や別居の後、自らも面会交流を希望しながら、暴力や連れ去りに対する懸念で面会交流に応じられない同居の片親、子供と別居しての生活を余儀なくされた片親、また、別居や離婚に伴い、片親との別居での生活を余儀なくされている子供たちのため、最高裁判所事務総局と連携し、「安全な環境での面会交流」を実現するために協力を求め、以下に、その理由を申し述べさせていただきます。

 また、最高裁判所事務総局に対しても、離婚や別居の後、自らも面会交流を希望しながら、暴力や連れ去りに対する懸念で面会交流に応じられない同居親、子供と別居しての生活を余儀なくされた片親、また、別居や離婚に伴い、片親との別居での生活を余儀なくされている子供たちのため、「安全な環境での面会交流」を実現するため、国家公安委員会、警察庁と連携して面会交流の積極化をさらに推進することを求めます。

三、監護親が面会交流に応じられない理由として、安全上の理由が多く挙げられている

 家庭裁判所での面会交流調停では、裁判所は面会を求める方向で考えているとされている。
しかしながら、筆者が相談に応じ、これまで、数件の請願書を各家庭裁判所にお送りした事案では、交流遮断の審判や写真や手紙などの、いわゆる「間接交流」という、およそ、子供の福祉や利益とは程遠い、単なる大人の身勝手で、子供を蔑ろにする事を持って、子供の福祉や利益に代えている事案も多い。
そういう事案では、特に、過去のDV事実や面会の場での子供に対する虐待、連れ去り、連れ戻しに対する懸念など、面会を望む別居親に対する個人的不信感から面会に応じられないと主張する監護親が多く見受けられる。

 しかしながら、これは、家庭裁判所でも誤解されている事だが、そもそも、面会交流とは、別居夫婦や離婚後の元夫婦の交流ではない。
つまり、監護親が別居親に逢いたくないという事や、監護親が子供を別居親に逢わせたくないという事は、監護親の個人的心情に過ぎず、子供の福祉や利益とは、本質的に異なるものである。
そして、面会交流とは、離婚や別居後の親と子の交流であり、民法第766条第1項では、離婚の際にそれを取り決める事が定められている。

裁判所では、平成24年4月の、この法改正を受けても、その姿勢を事実上変えず、交流遮断や、さらには、改正された民法第766条第1項の、「面会及びその他の交流」を悪用し、一般に用いられている「面会交流」を、「面会」と「交流」と言葉を分離し、「交流」という言葉を殊更強調し、写真や手紙の送付と言う形のみで行う「間接交流」という紛い物で面会に挿げ替える姑息なマネを、子供の福祉や利益と称して行い続けている事は、周知の事実である。

しかしながら、そもそも、平成24年4月の民法第766条第1項の改正は、離婚や別居に伴い、当然のように行われている裁判所による交流遮断に対する多くの異議を背景として成立した、いわば、社会の歪みを解消するための一つの国民的努力の結晶と言うべきものである。
つまりは、主権者である日本国民は、離婚や別居に伴い、当然のように行われている交流遮断を子の福祉と社会的利益を損なう害悪であると判断し、離婚や別居の後も、別居親と子供とが面会を行える事を、子の福祉であり利益であると判断したのである。
 公平なはずの裁判所が、安全上の理由で面会が行えないなどと、一方当事者の主張に格別の配慮を示し、他方当事者の言い分を何らの対策も講じずに無視し、子供の福祉と社会的利益が損なわれる事を容認するなど、何ら努力を払わない者たちが、やらない理由を懸命に探した怠惰の言い訳に過ぎない。

 安全上の理由で面会が行えないのなら、安全に面会交流を執り行えるよう、行政機関が環境整備を行えば良い。
 そのためには、公共の安全と秩序を守る事を任務とする警察が、安全な面会交流の実現に対し何らの関与も行わない事、もしくは、それができないと考える事は、職責の遂行に対する必要以上の遠慮であると言わざるを得ない。


四、数多くの冤罪事件の原因でもある警察の不公平な対応が、離婚や別居、面会交流の事案でも数多く見られ、それが無用な犯罪被害と社会的損失を増加させている

 前述の通り、一方当事者が、面会交流でのDVや虐待、連れ去りに対する懸念を理由に、面会を拒む事例は筆者も相談を受けている。そのため、筆者がカウンセリングを行う中で、「警察署内での面会交流」を提案したところ、2014年7月末、実際に、警察署に相談に出向かれた方がいた。

 この方は、うつ病の診断を受け、現在も治療を受けている方である。
筆者とのカウンセリングの中で、DVを学び、自らの過去への反省と、子供たちの将来を考え、面会交流調停を申し立て、その中で、相手方の懸念を払拭できるよう、一つの方法論として、「警察署内なら警察官も多くいて、DVや虐待、連れ去りの危険も無く、相手方にも安心してもらえる」と信じ、病身で相談に行った先、静岡県警察裾野警察署で、以下のように対応されて終わったとの事である。

 その方によると、

「相手が危険視しているのであれば、それを事前に防ぐのが警察」
「相手と接触させない方向での協力となる」
「場所の提供はできない」 「調停で解決してください」

と、無碍にされた上、犯罪者扱いで身分証明だけは求められ、それが苦痛だったという事である。

1、「相手が危険視しているのであれば、それを事前に防ぐのが警察」に対して

 請願理由冒頭に挙げた警察法第2条では、その第1項で警察は、個人の生命、身体の保護のため、犯罪の予防を責務とされている、その点に関しては、この警察官の返答は正当であろう。しかしながら、警察の活動は、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨ともされている。
 それに対し、この対応は、「相手方の危険視のみ」を重視し、「目の前にいる、警察に面会交流への協力を求めた市民」を危険人物や犯罪者の類と決め付け、その人格を軽視、無視したものである。
これが、警察法第2条第2項の、「不偏不党且つ公平中正」とやらか。近年、被害者が訴えただけで痴漢と決め付け裁判で無罪となる社会問題、痴漢冤罪などと同じではないか。ずいぶんと偏った上に中身の無い不偏不党且つ公平中正で、筆者には、ただのバイアス思考にしか感じられない。

 そもそも、警察が守るべきは被害者ではない。公共の安全と秩序である。公共の安全と秩序を脅かす者から公共の安全と秩序を守る形で被害者も守るのである。
 そして、警察には、加害者を決め付け罰する権限は無い。
 正義を掲げる多くの者が勘違いをしている事だが、警察の権限は警察法に定められている範囲に止まり、その正義は警察法の範囲内で行うものである。法治国家において、法を逸脱した正義は単なる自己満足であり私刑である。自己満足は野心や欲望に過ぎず、私刑こそ、公共の危険であり、違法行為である。

 相手が危険視しているのであれば、それを事前に防ぐのが警察。だからこそ、警察の協力が安全な面会交流には必要なのだと改めて申し上げる。

2、「相手と接触させない方向での協力となる」に対して

 この対応には法的根拠が見当たらない。
 また、この返答では、「一方当事者が危険視している場合、その真偽に関わらず、他方当事者は相手に対し接触をさせない対応をする」という事である。
 これでは、被害者が申し立てれば、それが犯罪であり、警察が逮捕すれば犯罪者であると言う、ただの決め付けであり、これまで、痴漢等、数多くの刑事での冤罪事件を生み出してきた論理の繰り返しであり、過去の反省を全く踏まえておらず、極めて無責任である。

そして、その決め付けによる接触させない協力とは、畢竟、男女の分住である。
これは、かつて、黒人と言うだけの理由で、白人と居住地まで分離されていた南アフリカのアパルトヘイトを髣髴させる。アパルトヘイトとは、国際社会から厳しい非難を浴びた、歴史上、最も有名で最悪の差別政策に挙げられるものである。
 極めて乱暴な分住政策であり、公共の安全にも秩序にも寄与しない事は明白である。

 また、「協力」という言葉を使ってはいるが、要は、市民の安全と公共の秩序のために何もしたくない怠惰の姑息な言い替えであり、一方当事者に過ぎない被害者の名を借りて、安全な面会のため警察に協力を求めた他方当事者である市民の想いを踏みにじり、これに対する社会的排除を行うという意味に他ならない。

 差別の加害者は、自分たちが何をしているか認識できていない事が多い。
 正義に名を借りた差別なら、その差別は正義と言い換える事ができるため、さらに認識を曇らせる。

 念のため、社会的排除とは、要するに差別の事であり、日本国憲法第14条第1項に反する行為である。
 その、日本国憲法第14条第1項では、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定められている。
 先に挙げた警察の「男女の分住」という協力とアパルトヘイトとの違いは、ただ、人種差別が性差別に挿げ替わっただけである。
 日本国憲法第99条では、公務員には、憲法を尊重し擁護する義務があると定められている。
 「アパルトヘイト紛いの社会的排除により公共の安全と秩序を守る」というのは、警察法の名を借りた憲法違反の行為であり、警察官と言う身分を盾にしたハラスメント行為と指摘せざるを得ない。

 警察法では、公共の安全と秩序を守る事を警察の責任とはしているが、その手段は日本国憲法を遵守した上で、適正な法律の執行により果たされなければならない。
 また、立法府が平成24年4月、民法第766条第1項に、「面会及びその他の交流」と加筆したのは、国民から代表者が選任される国会からの、行政権を統べる内閣の政策に対する指針であると同時に、裁判所が裁判上の規範とする事を示したものである。
 それに対し、この警察の「一方当事者の社会的排除をもって面会交流に対する協力とする」とは、どの法律に基づき、また、誰の指示に基づいたものなのか。

 この相談者の事例は、DV防止法第10条の保護命令は5年以上前のものであり、保護命令の効力は半年間ごとに更新されるものである。
 保護命令が5年以上前に効力を失っている以上、法の執行者が、それを理由とした社会的排除を行う事は、法によらない制裁、法によらない刑罰の執行に他ならず、近代法の大原則である罪刑法定主義に反する。
また、過去のDVや虐待を理由に、いつまでも、子供と逢わせないというのでは、死刑を除くあらゆる刑罰を凌駕する罰の重さであり、そもそも、罪刑法定主義違反である事を看過しても、刑罰の均衡に反するものである。
そして、刑罰は、裁判所が公開の法廷において検察官の起訴に基づいてのみ下されるものであり、その執行は法務省が行う。警察が独自に行うものではないし、しなくて良い。

 また、この相談者は、家族を失った後、その心労によりうつ病を患い仕事も失った。
そして、筆者とのカウンセリングを通じ、DVにについて知り、また、当時の心理状態を再現しないよう、依頼の時から半年近く、継続したカウンセリングを受けている。
 我が国でも、DVや虐待の再発を防止するため、同様の活動を行う者がいるが、過去のこれらの行為を理由に、いつまでも子供と逢わせないというのでは、これらの市民の活動による社会的利益を大きく阻害するものであり、面会交流を法で定め、DVや虐待を防止する国の方針とも、公共の安全と秩序を守る責任を理由に存在している警察の職責にも大きく反するものである。

3、「場所の提供はできない」に対する対案

 この対応には法的根拠が見当たらない。
 とはいえ、さすがに、「警察署内での面会交流」という提案は、筆者が、警察官を純粋に信じているからであり、「安全な面会交流の実現」に対する絶対の自信こそあるものの、警察の職務を妨害するものとなる危険は認めざるを得ない。

 そのため、国家公安委員会委員長と警察庁長官には、たとえば、全国の警察の施設や警察官のための福利厚生のための施設を利用、もしくは、面会交流のための施設を新たに設ける。さらに、前述した施設のほか、面会交流を行う施設に対し、警察官を面会の立会いに配するなど、安全な面会交流の実現のため、具体的な協力をしていただく事を提案する。

 もちろん、警察官が親子の面会に口出しをする必要は無く、市民の生活に協力する称賛だけを受け取っていただけば良い。万一、暴力や連れ去りなど、違法な有形力の行使が認められれば、その痴れ者を例外なく逮捕して手柄としていただけば良いのである。

 これは、最低限の提案であり、警察と裁判所で、さらに、安全な面会交流を推進する政策があるのなら、ぜひ、姑息な間接交流や、悪趣味極まりないアパルトヘイト紛いの社会的排除政策以外の方法で実現していただき、その称賛は、裁判所と警察で受け取っていただければ幸甚の至りである。

4、「調停で解決してください」について

 もちろん、筆者が、これを提案した目的も、調停での解決のためであり、警察から、わざわざ、「市民と公共の安全と秩序のための協力要請の拒否」の言葉としてお返しいただく必要は無い。

 これまでの通り、面会交流制度は、子供の福祉や利益、そして、社会の利益のため、立法府が民法の改正で定めた国家の規範である。
 行政機関が法律の執行者である以上、警察も、これに従う義務があり、これを阻害する行為を行ってはならないことは、法治国家の大前提である。

 しかしながら、今回、警察は国の方針を阻害したのである。

 また、心理的な問題を抱える凶悪犯の増加、時代や技術の進歩に基づく犯罪被害の増加などに対し、警察の現在の検挙率は低下していると言われている。
それは、これまでの警察による、公共の安全や秩序を守るための手段や対応が、これらの変化に対応できていないからであるというのが、一因ではないか。
 かつて、教育の現場は、ある種の聖域とみなされ無法化し、今では、無法の秩序の暴君となった一部の教職員による体罰や、生徒間、先輩後輩関係でのいじめが社会問題として深刻化している。
 これに対し、2012年7月12日の記者会見で、当時の警察庁長官であった片桐裕さんが、いじめ問題である、滋賀県大津市の中2男子自殺問題について、一般論と断った上で「教育現場の対応を尊重すべきだが、違法行為があれば被害者や保護者の意向、学校の対応状況を踏まえて対処する」「少年の生命身体が脅かされる重大な事案があれば、捜査や補導の措置を講じなければならない」と述べたと報道されたが、これも、いじめによる被害の深刻化、自殺の発覚の増加、問題解決の困難化に伴い、これまでの警察の対応では、十分な対処ができていなかったからこその言及だったはずである。

5、犯罪者扱いで身分証明だけは求められた事に対して

 筆者の相談者には精神疾患の患者さんも多いが、ご病気を理由に、警察官から犯罪者の誹りを受けた経験を持つ方も多い。
警察官による精神障害者に対する差別的な対応もいかがなものかと思う。
 警察官職務執行法では、その第2条で、いわゆる職務質問について定められていて、裁判所も、それを広く解釈している。
しかしながら、これは、警察官が暴虐をもって国民に君臨する政治的野心の保障を定めた法律でも、精神障害者や「DVで訴えられただけの人」に対し恣意的、差別的な扱いや侮辱的な対応をすることを認めるものでもない。
 前述の通り、検挙率の低下と、これまでの警察による公共の安全や秩序を守るための手段や対応との関係について、正面から向き合ってみた方が良いとご意見申し上げる。


五、DVや虐待を理由とした社会的排除は公共の安全と秩序を守る手段にはなりえない

 さて、2000年にストーカー規制法と児童虐待防止法、続く、2001年にDV防止法が制定され、すでに10年以上が経つが、近年では、虚偽の訴えにより、訴えられた方が裁判所や警察、自治体からの不当な社会的排除を受けているという報道が増えてきている。

 これに対し、近年では、「子供に逢えないことを理由とする犯罪」も増加している。
 また、「子供に逢えないストレスによる自殺」も増加しており、これは、犯罪や自殺の予防を管轄している警察庁としても、見過ごして良い問題とは言えないだろう。

 請願理由四、で述べた事例もそうであるが、DV防止法が制定され、家庭に警察が介入することが可能となったが、その介入は、被害者の訴えによる、一方的な加害者の決めつけ、それに対する社会的排除となっている。

 子供を連れ去り、引き離す時には警察が立ち会うのに、面会には協力しないと言う。
 DV被害者の保護には協力をするが、DVで訴えられた人は、それが、たとえ虚偽であったとしても社会的に排除し、「逢わせない」事をもって、面会への協力と言う。

 法律で定められれば、あらゆる蛮行や暴挙が認められる訳ではない。
 そもそも、一方の申し立てで他方を加害者と決めつけての社会的排除など、法の下の平等を定めた日本国憲法第14条第1項に明らかに反するものである。
 また、警察法第2条で定められている警察の職責に、加害者の決めつけや、その社会的排除などは定められていない。

 現在の、子供の利益、家族の問題に対し、「トラブルになるなら会わせなければ良い。そのためには警察は介入する」という、極めて乱暴な論理である。
 家族の再生に介入すべしとまでは言わないが、警察権で家族の再生の邪魔をして、揚句、壊れる前に壊してしまおうという、公共と秩序に対する大迷惑である。

 そもそも、法によらない刑罰で親子を引き裂き精神的苦痛を与え、そのストレスで犯罪を起こせば、それを「法に反したから」と嬉々として罰し、苦痛に耐えられず自殺をすれば、「自殺は良くない」と規範的な言辞で道徳的断罪を加えながら嘆くは、手柄欲しさに公共の危険を自ら作り、自ら発見し解決するだけの、ただの犯罪の自作自演に他ならない。

 そもそも、その、警察の自作自演の最大の被害者は、自らの親を犯罪者にされ、それを理由に親を奪われることになる子供たちである。
子供たちは、身勝手な両親や大人たちの野心で、「犯罪者の子供」として一生を送らなければならなくなる事は理解しなければならない。

 最後に、平成24年4月の民法第766条第1項の改正は、交流遮断が当然のように行われてきた事に対する国民的異議の成果であり、立法府から行政府に対する国政の指針である。離婚や別居後の面会交流は、国会が定めた国策である以上、警察が、これに異議を申すことは許されず、必要があるならば、これに協力する義務がある事を改めて申し上げて本請願を終える。


以上


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さとう社会問題研究所「請願書」