さとう社会問題研究所は、クライアントの要請を受け、以下の意見の文案作成を行いました。

この文案は、2015年9月28日、クライアントを通じ、文化放送に郵送されています。

解説:

さとう社会問題研究所では、社会の理不尽に関するご相談にも応じています。
また、相談だけではなく、請願書や意見書の作成のほか、文章の執筆の依頼も受けています。
文章を書くのが苦手な方でも、「こういう意見が書きたい」というご要望をいただけましたら、検討させていただいています。

今回は、文化放送のラジオ番組に意見をしたいとの事で、クライアントからお送りいただいた資料を確認し、文章の方向性を検討し、文案を作成しました。

この意見は、政治的な番組に対するものですが、あくまで社会の理不尽を指摘するものですので、コラムのページで公開させていただきます。

(注:研究所の趣旨に添わない文章の執筆はお断りさせていただいています)


以下、文化放送に提出された意見書になります。
(注:番組出演者である、田原総一朗さん、小林よしのりさん、辻本清美さんのお名前は伏せていません)


2015年5月5日の田原総一朗さんの番組、『オフレコ』「戦後70年とこれからの日本」を、今さらなのですが視聴させていただきまして、どうしても私どもの意見を申し上げたく、失礼省みずお手紙さしあげます。

番組の中で、日本が主権を回復していないという話題の中、ゲストの小林よしのりさんは「政治家が劣化している、日本国民は戦争の総括を未だにしていない。主権の無い国家だ。」というような事を仰っていました。

私共も、日本の主権の回復のため、政治家の劣化を防ぐ事が必要と考えていますが、日本国憲法第17条で、公務員の無答責(公務員の不法行為に対しては、国や公共団体への賠償請求しか認めない、公務員個人に対する賠償責任は免責されてしまう事)が認められている事が、変に拡大解釈され、それが国民に広く誤解されている節がある事。これが政治家が劣化した最大の原因の一つであると考えていて、主権を回復するため、政治家の劣化を回復するには、憲法17条が邪魔であると思います。具体的には、公務員の不法行為に関する裁判では、日本国憲法第17条と国家賠償法を根拠に、「公務員個人の責任を問う事ができない」と解されて運用されてしまっています。

 そもそも、この日本国憲法第17条は、「GHQが押し付けた」憲法の草案、いわゆる「GHQ草案」にはなく、『憲法改正草案』などでも挙げられておらず、日本国憲法に突如として出現する条文で、私達は、戦争責任の追及を知る当時の政治家や官僚が、失政や政策の失敗などに対する自らの保身の策として忍ばせた「国家と国民に対する毒薬」のように感じています。

   本来の法の趣旨では、民事上の賠償についての使用者責任を国と公共団体に負わせているだけなのですが、現実には、無責任な公務員が法律に守られているに過ぎません。
 その事により、政治家を始め、公務員が自らの公務に対し緊張感なく向き合い、無責任な政策を並べられるのだと考えています。
事実上、17条は「公務員無責任法」になっています。それが「憲法」(!)で謳ってあれば、国民も「お上のすることに口を出しても無駄」という諦めが出てきても当然でしょう。

断固として言わせていただければ、公務員は公務に対し、その過失に応じた責任を負う必要があるのは当然です。
そうする事で、政治家を始め、公務員が自らの政策に責任を持つようにすることで、公務に緊張感を持たせられるでしょう。

あと、小林さんと辻本清美さん、共に「自民党の国会議員の中には、憲法を全く理解できていない方が多い」というご指摘もありましたが、私も、安倍総理や自民党の国会議員さんの憲法論からは、「米国からの押し付け憲法論だから無視して良い」というお考えなのか、憲法に対する理解がまったくない上に、自らの価値観だけを憲法に載せ、それを改正憲法と言っているだけのように思っています。それ故、憲法でありながら、その改正草案が、理念や価値観を定める。主権者である国民から国、統治機構に対する統治のための規範であるにもかかわらず、「公」や「公共」に対する奉仕を求める、国家から国民に対する命令書のようになっているという、番組の中でのご指摘に繋がっているように思えました。

以上、長々書かせていただきましたが、ぜひご考察いただきたくお願い申し上げます。


以上


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さとう社会問題研究所「コラム」