さとう社会問題研究所は、2013年6月19日、東京地方裁判所立川支部民事第4部に対し、代表者の名において、以下の内容の請願を行いました。
請願は郵送の形式によって行いました。

請願解説:
まず、この請願の背景に、DV被害者が、「でっち上げDV」により、社会的不利益を蒙る実態を説明します。

1、はじめに

近年、離婚訴訟を有利に進めるため、「でっち上げDV」や「虚偽のDVの訴え」という、DV防止法を悪用する手段が社会問題となっています。
この背後には、さまざまな問題、たとえば、DVについての相談を受け付けている警察などが、不用意にDVと判断し、対応を始めてしまう場合や、民間のシェルターの対応の問題、DV防止法の支援要請をしたら、生活保護制度などが簡単に利用できる金銭的なインセンティブ、最近では、国際的な問題となっていて、「ハーグ条約」で注目をさらに集めている、離婚を有利に進めるための、「子の連れ去り、引き離し」も、行政の支援を受け、公然と行う事ができる事が、その背景にあります。
ただ、本来、DV防止法のあるべき姿として、こういう行為を支援するための法律なのか?たとえ、それが他人を陥れるための虚偽のものであっても、「DV」と言えば、認められてしまう事により、誰かが傷付く事になってはいないか?と、当研究所は、数年前から、この問題に取り組んできました。

2、改めて、DVとは

一般に誤解されているのですが、DVは、「配偶者間の暴力」の事であり、その被害者は女性に限らず、加害者は男性に限りません。生命・身体に危険のある暴力でなくても、心身に影響を及ぼす精神的なものや経済的なものも、DVの手段として行われており、これらについては、身体剛健である必要がないからです。
また、暴力を要素から見た場合、男女の肉体の強さと言うものも、性別による絶対的な指標ではありません。暴力は、性格や欲求の解消などにおける行動パターンの影響を強く受けるものでもあります。
客観的な統計資料としては、内閣府の男女共同参画局や、横浜市が過去に行った調査結果でも、女性だけでなく、男性も相当数がDV被害を経験しているというものがあります。アメリカでは、男性を被害者とするDVは、十分に認知をされております。

3、DVに対する社会的対応の問題点

DVの加害者を男性に限り、被害者を女性に限る事は重大な間違いで、かつ、社会的危険に対する対応としても、不適切と言わざるを得ません。
ただ、DV防止法が、その前文で、DVの被害者を女性と限定しているような印象を与える事、さらには、社会的な「被害者は女性」という誤認から、相談対応の専門機関ですら、「男性の相談者を追い返したり、白眼視する」という対応をしていると言う指摘もあります。
暴力被害、心の苦しみに、男女の違いはないはずです。

また、DVと誤解されがちなものとして、夫源病や婦源病と呼ばれる、更年期障害により生じる心の問題や、抑うつや不安などによる、依存や甘えという心理的な反応もあります。これらの問題による言動は、モラルハラスメント(=嫌がらせ、精神的な暴力)と思えなくもないため、治療をすれば回復する事例にまで、相談を受けた機関がDVとして処理をしている可能性もあります。
これらは、DVである前に病気なのですが、支援行動が始まると、警察や自治体の対応が、まるで「犯罪者」に対する扱いになってしまいます。そのため、周囲の理解に支えられ、治療を受ければ回復するような事案であっても、社会的排除による過剰なストレスが、その症状を悪化させる恐れがあります。
DV防止法は、ハラスメントを防止するための法律であって、ハラスメントをするための法律ではないはずです。

でっち上げDVやその後の連れ去り引き離しによって、自殺をした方もいるとされており、カウンセリングをしている立場からは、DV被害者の保護と言うものが、こういう被害を容認するものかと言う疑問があります。

4、今回行った請願事案の問題点

今回は、DV防止法の第10条に定められている「保護命令」について、請願を行いました。

今回、請願を行った事案の問題点は、主に、以下のようになります。
一、保護命令の問題
1、証拠の無い事案にまで保護命令が発令される事により、相手方にとっては重大な人権侵害が行われる危険。
2、申立人には証拠がない上、相手方が反証を提出しているにもかかわらず、それらをすべて無視して保護命令を発令する事による社会的な不公平感の増大。
二、本当のDV被害者が社会的に蒙る事になる無理解の問題
1、不公平なDV防止法の運用により、DVそのものに対し、社会的な理解がなくなる危険性。
2、裁判で、DVの事実が否定される事案が増加しており、仮に、DV防止法で支援を受けられるとしても、社会的には「常に疑いの目で見られる」事になっている。当然、DV防止法を根拠とした支援、特に生活保護受給などは、虚偽の場合、「不正受給」(=税金泥棒)となる。詐欺罪に問われるべきものであり、DVを理由にすれば詐欺をしても良いと言う社会的理解は得られない。
3、最終的には、本当のDV被害者が、DV防止法の恩恵を受けられなくなってしまう事になり、社会的孤立を更に深める事になってしまう。

5、いわゆる「DVビジネス」の問題

DV被害者の支援者の中には、自分達が社会的・金銭的な利益を得られるような、「DVビジネス」と呼ばれるシステムを構築していると言う話もあります。
このDVビジネスについては、当研究所には、一切の情報提供がないため、その真偽は分からないのですが、DVとは無関係な方、特に女性を、DV被害者に仕立て上げ、支援を受ける事を強要し、結果的に、その家庭を破壊するようです。
こういうDVビジネスには、外部、特に夫との接触を禁じ、連絡手段を奪う事。離婚の意思とDVビジネスに対する感謝の言葉を念書として書かせることなど、共通した手段が確立されているとの事です。

これは、民間のシェルターなどを運営するNPO法人には、「シェルターで保護した人数」に応じて補助金などが支給されると言う、自治体の制度などが背景にあるようで、経営学やマーケティングでは、「顧客創造」と呼ばれる手段で、補助金の対象となる「被害者」を確保していると考えられます。
ただ、社会的な問題を、わざわざ作り出し、無関係な方を被害者や犯罪者に仕立て上げ、お金を稼ぐという事が、社会的に許容されるべき顧客創造なのか?支援者の目的とすべき、「DV被害者を救う事」と何の関係があるのでしょう?私は、むしろ有害だと思います。
まして、補助金とは、みなさんの税金の事です。税金を使って他人の家庭を壊して、誰かがお金をもうけるシステムは、結果的に、DV被害者への理解と支援を失わせるものだと言わざるを得ません。

もちろん、こういうビジネスが成立している背景には、DV被害者を救うと言う使命感によるものと思います。
とはいえ、DV被害者を救うためなら、他の誰を害しても良いという正義感は、歪んだものですし、社会的に許容されないものです。
今は、DV防止法の解釈や運用で、それも認められているのでしょうが、果たして、法律だからと、人権侵害がビジネスとして公然と許容されて良いものでしょうか?

DVに苦しんでいる方たちが、その苦しみを踏みにじられるような支援の在り様を、問い直す必要はないのでしょうか?

6、でっち上げDVや不公平なDV防止法の解釈・運用により、DV被害者が侮辱されている実態

そもそも、私が相談を受けているような、DV被害者の方は、わざわざ、DVをでっち上げる必要のある方はいません。
被害者にとっては、加害者の暴力から免れる事だけが目的であり、別に、不公平な法律の運用、無関係な方の社会的排除、DVビジネスの存在や生活保護詐欺など、どなたも希望しておりません。
むしろ、DV防止法が不公平である事に、迷惑を蒙っている方が多いのではないのでしょうか?

ただ、現在のDV防止法を取り巻く現状は、本当のDV被害者の苦しみを侮辱し、社会から排除されるよう動いている状態です。
虚偽の訴えが歓迎され、DVとは無関係な方が、突然DV人間として社会的に排除される事態になっており、本来、DV被害者を救うべき、DV防止法や、DV被害者への支援制度が、その被害者の人権を侵害し、憎悪の対象となっています。


請願書
(注:当事者の方は個人的な知り合いですが、請願は個人的に行ったもので、ご本人にもお知らせしておりません。そのため、事件の特定につながる情報、当事者の個人情報に該当する部分は表示しておりません)

誓願事件:平成○○年(○○)第○○○号配偶者暴力に関する保護命令申立事件

請願事項:  東京地方裁判所立川支部(以下、御庁という)に対し、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(以下、DV防止法)第10条の保護命令の決定に対し、以下の内容を強く希望いたします。
1、友人として、○○○さんが提出した、暴力行為の事実を否定する証拠を無視せず、検証を行う事。
 2、虐待被害者の一人として、全国の暴力による被害者が、その苦しみを軽んじられ、侮辱されないよう、社会的排除や人権侵害を目的とした、虚偽の事実に基づく、保護命令の申し立てを認めず、保護命令を発令しない事。
 3、日本国の主権者の一人として、日本国憲法第16条に基づき、DV防止法の誤った解釈・運用により、何人も、人権侵害を蒙らないよう、司法権を適正に行使する事。

請願理由:
一、DV防止法第10条の保護命令は、人権侵害を目的としてはならない。

1、保護命令は、申立人の生命および身体の安全を守るためのものであると同時に、申し立ての相手方が、社会的に排除される実態を伴うものである。しかしながら、その申し立てが認められるに当たっては、疎明で足りる。証拠に基づく必要もなく、一方的な申し立てでも社会的排除が認められるという事は、申し立てられた相手方にとっては、人権に対する危険への予見可能性も、攻撃防御方法も存在しない法的手続きであることを意味しており、法の正義を逸脱したものである。法の正義を逸脱した社会的排除は、法と称しただけの人権侵害に他ならない。
2、すべての法は、自分も含めた「誰か」の願望を実現するための道具であってはならず、国民全体の公器でなければならない。また、すべての公務員も、自分も含めた「誰か」の願望を実現するための奉仕者であってはならず、国民全体の奉仕者でなければならない。すべての裁判官も同様であり、裁判官だからと言って例外はない。1、に挙げた、申し立てられた相手方に対し、人権侵害の危険がある法的手続きにおいては、その運用に当たり、すべての公務員が、「誰か」の安全だけを考え、その「敵」を排除する事に専心してはならず、その「誰かの敵」の人権も侵害しないよう、十分な配慮を払う必要がある。
3、DV防止法の保護命令の運用は、生命・身体の危険が高い事が明らかである事例にまで、謙抑的である必要はない。しかしながら、申し立てられた相手方にとって、自らの人権に対する危険の予見可能性も、攻撃防御方法も存在しない法的手続きであるという事は、申し立てる側にとっては、人権侵害を目的とした純粋な悪意によっても請求が可能である事を意味する。そのため、その請求が、人権侵害を目的とした悪意でない事に対する最低限の説明は必要であると考える。そもそも、人権侵害を目的とした手続の存在など、日本国憲法が認めるはずがない事は明白であり、申し立ての相手方にとって、この説明の要求が、保護命令を請求するに必要な、疎明の範囲を逸脱したものではない事は明らかである。
4、1、から3、に挙げた理由から、保護命令を決定するに当たっての判断には、申立人の生命・身体の危険を最優先は当然ながら、申し立ての相手方の人権侵害を目的としてもならない。そのために、申立人による、いかなる説明もなされていない状況での保護命令の発令は、申し立ての相手方の人権侵害を目的とした悪意の不存在も説明したものでもないため、裁判官としては、申し立ての相手方に対する法と手続による社会的排除の危険を考慮した決定をしなければならない。
5、なお、「被害者からの申し立ての事実」は、手続の発端に過ぎないものであり、これは、「申し立ての相手方への悪意の不存在」や「被害の存在」に対する疎明に代えてはならない事は明らかである。
6、以上の内容を踏まえないまま、いたずらに、保護命令を決定する裁判官の行動は、「DV防止法」や「保護命令」に名を借りた、単なる自己満足の権力的野心に過ぎない。法と証拠に基づかない法の正義は、申立人の悪意に加担し、その相手方への人権侵害を目的とした行動である事を意味し、DVで命を奪われてきた方々、現在もDVに苦しむ人々に対する侮辱であり、公共の大迷惑である。
7、6、の行為が、裁判官としても、司法権としても、当然に無効となる職権の濫用、権限の逸脱である事は明白である。その法の正義を僭称した権力的野心は、人類普遍の原理たる基本的人権に挑戦することを意味しており、これは、日本国民と日本国憲法への挑戦である。

二、DV防止法の運用による社会的排除の存在に対する懸念。

1、DV防止法は、被害者の申し立てにより、その保護が開始されるという、社会正義の実現に有効である反面、その相手方に対し、「加害者」というレッテルが貼られてしまう側面がある。
2、DV防止法による被害の申し立てにより、自らの知らぬうちに「加害者」とされてしまった相手方は、法と証拠に基づいた、攻撃防御の機会も与えられないまま、「被害を申し立てられた」という理由だけで、周囲の人物から「犯罪者」として扱われ、社会生活に支障をきたしている。
3、2、は、一般の刑法犯の事例においても、「メディアの報道による社会的制裁」という形で、その人権侵害が存在しているが、未だ、冤罪が発覚した際に、それに対する有効な救済策が与えられていない事が問題である。なお、憲法第17条や国家賠償法、刑事補償法などに基づく冤罪被害者への補償は、重大な人権侵害に対する当然の対価に過ぎず、それで足りるという考えは、モラルハラスメントなどの暴力加害者に見られる開き直りの心理と同質の自己満足である。
4、仮に、DV防止法を運用している行政や司法の中に、DV被害者への支援と称すれば、あらゆる人権侵害や社会的排除を、やりたい放題、し放題と言う考えがあるとするならば、DV防止法の正義と言うものは、DVは、DV防止法で利益を受けている者たちの個人的野心の道具と言う位置付けに過ぎず、DV被害者への侮辱であり、到底認められるものではない。
5、なお、保護命令による人権侵害を、「DV被害者が救われるならば、それで良いのだ」という極めて安易な意図で行っているのならば、ただの公共の大迷惑。短慮以外の何物でもなく論外である。

三、子の「連れ去り」や「引き離し」にDV防止法が悪用されている問題の存在。

1、先日、ハーグ条約関連法が、国会で可決成立したことでも話題になっているが、子の「連れ去り」や、その後の「引き離し」に関する事案でも、その連れ去りや引き離し、その他、有責配偶者と判断されかねない自らの問題行動を隠すため、また、子どもを人質とすることで、離婚を有利に進めようとするなどという、当事者の個人的野心の実現のための第一手として、DV相談を警察にし、自治体からの支援を受けるという事案もある。
2、1、の事案においては、必ずと言って良いほど、「子に対する虐待」を理由として、配偶者に子どもを逢わせたくない、逢わせないという主張を繰り広げる事が多い。私がカウンセリングをしている限りだが、「子どもに逢わせろと言わない事が疑問だ」と、交流に積極的なDV被害者はいたが、「子どもを逢わせたくない」などと言ったDV被害者は一人もいない。また、DV被害者の多くが、裁判の中で、証拠によってDVの存在を証明しているが、「子どもに逢わせたくない」という主張をする自称DV被害者の中には、証拠を出さない事例だけでなく、離婚裁判の確定判決において、その存在を明確に否定され、反対に、「悪意の遺棄」として、自分がDV加害者と認定された方もいる。これは、DV加害者が、行政からの支援を受けていたという事例でもあり、DV防止法の根本的な問題点が顕在化した事案だと言わざるを得ない。
3、1、と2、に挙げたように、子の連れ去りや引き離しを正当化するために、DV防止法の手続が用いられている事案がある。しかしながら、DV防止法による行政の支援や保護命令まで、一貫して、被害者には説明責任が求められていない。挙句に、その保護活動には、「先願主義」が適用され、加害者でも、届出を先にすれば最大の支援を受けられ、DV被害者に対し、最大の人権侵害・社会的排除が行える現状に、DV防止法の制定に関わり、運用する側の悪意を感じざるを得ない。
4、3、に挙げたDV防止法を運用する側の具体的悪意としては、本事案において、○○○さんが、DV被害者として警察に相談している「DV被害者」だという事にも関わらず、保護命令を発令されているという事。さらに、○○○さんは、DV防止法とは無関係の法的手続きである、お子さん達との面会の調停において、その要望をすべて退けた審判を受けたとの事である。一切の面会を認めないという事は、司法権が、「連れ去り」や「引き離し」に加担している共犯である証拠と言わざるを得ない。
5、DVの不存在は、離婚裁判において、監護権者指定に影響を与えないという立場を取りながら、子の「連れ去り」や「引き離し」を正当化する理由にできる現状というのは、裁判所が、子の「連れ去り」や「引き離し」に加担している事を意味する。
6、5、に対しては、民法改正で、第766条1項に「面会およびその他の交流」という文言がついたことにより、司法の取り組みが変わっていることに付いては十分に理解しており、高く評価しているところだが、私が相談を受けている中には、「DVを理由とした面会拒否」が未だ存在し、裁判所もそれを放置している事案が、依然存在している。

四、お金とDV防止法の関係に対する懸念

1、DV防止法の保護命令は、本来、被害者を加害者から守るために発令するものである。
2、しかしながら、昨年7月27日に、厚生労働省で出された通達には、「政令の改正により、DV防止法の保護命令を受けた児童には児童扶養手当を支給する事となった」と記載されている。これにより、児童扶養手当欲しさに保護命令を申し立てる人も出てくることが懸念される。
3、2、の懸念に対しては、子の連れ去りや引き離しの事案において、DV防止法による自治体の支援により、極めて簡単な手続で、生活保護を受給できているという事があり、以前より、「DV防止法による生活保護詐欺」という懸念は挙がっていた事からも、容易に想像のつくものである。
4、また、2、の通達においては、「保護命令の決定書の謄本及び確定証明書」という物の提出で、児童扶養手当を支給するとされている。「確定証明書」と言えば、端から見れば「公平な裁判所で確定された決定」という印象があるため、説得的であるように見えるが、請願理由一、で取り上げた事であり、後述するが、○○○さんの事案のように、御庁では、保護命令の発令には、証拠は不要で反証を許さないという一方的な立場を取っているため、その「確定」というのは、「法的手続きによるもの」ではなく、「御庁の思い出」と言う意味しか持たない。
5、御庁による保護命令の発令手続では、4、で指摘したDV防止法のシステムを使えば、DVストーリーを投稿するだけで、保護命令と言う賞と、相手方に対する人権侵害と言う副賞が手に入れることができ、「確定証明書」という、御庁を利用した記念品を持っていれば、厚生労働省から賞金として生活保護と児童扶養手当が手に入るという事を意味する。御庁と厚生労働省は、直接の関係がないという名目ではあろうが、御庁が、証拠のない事例にまで、反証を無視し、無条件に保護命令を出す事で、すべての国民の財産である税金から、生活保護と児童扶養手当を受給できるというシステムは確実に成立しており、これに関係する民間人にとっては、ビジネス・モデルとして恩恵を受けられる公共事業という事になっている。昨今、批判が集まっている補助金やバラマキ以上に巧妙な、司法と行政、民間が連携した、「誰か」に利益を還流するための、税金横領のシステムだという謗りを免れることはできない。

五、本事案での、保護命令の発令および手続き上の問題

1、法治国家においては、人権侵害の危険のある法的な手続において、証拠の無い主張を行った場合、裁判官は、「証拠がない」という理由だけで、それを却下する事が原則である。これは、何人も、基本的人権が認められ、尊重されなければならないからである。
2、本事案では、その発端から1年になるが、保護命令の申立人は、○○○さんから受けたという暴行の物的証拠を、まったく提出していないと聞いている。請願人は、DV被害者に対するカウンセリングも行っているが、暴力に対する物的証拠の無い事案と言うのは聞いたことがない。一般的に、DV被害者は、暴行を受けた際の自身の写真及び診断書を裁判の中で、真っ先に、DVが存在した証拠とする。
3、DVの事案においては、暴行によって死亡してしまう被害者が多い。とはいえ、暴行をしていない人物に、虚偽の事実に基づいて保護命令を発令し、人権を侵害して良いという理由にはならない。これは、DV被害者への侮辱である。そのため、暴行の事実は、その存在について、大きな争点としなければならない。2、の事実から、裁判所は、保護命令の発令に当たり、申立人の主張する○○○さんから受けた暴行について、疎明を求めるべきである。本事案が、DV防止法の保護命令と言うだけで、暴行の証拠が皆無と言う、暴行事件としてもDVの事案としても、極めて特異な例であり、その保護命令は、より慎重に発令されなければならない。それをしないで保護命令を発令した事は、申立人の生命・身体の安全を守るという美名はあるが、法の正義の観点からは、○○○さんに対する人権侵害と言わざるを得ない。御庁が、裁判所である以上、法の正義を逸脱した社会正義の実現を目論む事は、その邪な野心を弾劾されなければならない。
4、御庁後藤隆大裁判官は保護命令の発令に当たり、○○○さんが、憲法14条1項の観点から、自身の基本的人権の保障と公平な判断を求めた事に対し、「憲法では無く、DV防止法を優先させた」と言われたと伺っている。請願人は、憲法学が専攻で、憲法14条1項は、修士論文における重要なテーマとしたものだが、立憲主義国家においては、憲法は法律に優先し、法律は憲法に劣後するのが原則である。伝聞ながら、法律であるDV防止法が、日本国憲法に優先して適用されるべき法となったという、後藤裁判官のご発言には、○○○さんの人権の存在を否定する事で得られる、何かしらの政治的・権力的な利益があったのではないかと邪推せざるを得ない。
5、4、での後藤裁判官の「憲法ではなく、DV防止法を優先させた」というご意見には、この発言が事実ならば、同じ、「法」の道を歩んだものとして、まったく同意できないばかりでなく、裁判所の中で、法律上の手続の中で、それを実行に移したという点は問題であると指摘せざるを得ない。日本国憲法では、その第98条で、日本国憲法こそが国家の最高法規であることを確認し、第99条では、すべての公務員は、憲法を尊重する義務が定められている。最高法規である日本国憲法に対し、それより下位の規範を優先させたという、後藤裁判官の姿勢が事実ならば、憲法で、その身分を保障されていながら、その憲法に対し、挑戦した事を意味している。これは、日本国憲法と、その制定権者である日本国民に対する、極めて重大な非行事実といわざるを得ない。
6、過去、立憲主義国家において、憲法に挑戦した事例の中に、ナチスドイツが制定した、いわゆる「全権委任法」という法律があった。これは、共和国大統領と首相を兼任したヒトラー総統の命令とワイマール憲法との矛盾は、総統の命令を優先する事を定めた法律であったとされているが、ナチスとヒトラー総統の野心は、ドイツとドイツ国民に何をもたらしたのか、民主主義国家との戦争においてどのようになったのかは、日本では知らない人はいないだろう。何年か前にも、裁判官が、わが国の国会に対し挑戦をしようとしたようだが、DV防止法を憲法に優先し、○○○さんに対する人権侵害の理由とした、御庁後藤隆大裁判官の政治的・権力的野心が事実なら、わが国において、どれほど危険なものであるか。権力を行使する側の者が、国家と国民、憲法に対する挑戦した際には、歴史がどのように動いたのか、これも、日本人では知らない人はいない。
7、仮に、後藤裁判官のご発言が、国家と国民、日本国憲法を否定する趣旨でなかったとしても、○○○さんからの憲法上の人権に対する主張を、法律を優先させるという理由で棄却し、申立人の主張を無条件に受け入れ、保護を優先したのであるから、少なくとも、後藤裁判官の保護命令に当たっての姿勢は、DVを防止するという正義に名を借りた、○○○さんへの人権侵害であり、個人的野心に過ぎず、司法や正義と称すれば何をしても良いという、思い上がりを意味していると断じざるを得ない。


以上


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さとう社会問題研究所「請願書」