「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、2014年6月2日、横浜家庭裁判所1部1係に対し、以下の内容の請願書の提出を行いました。
請願書は郵送の形式によって行いました。

請願解説:

「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」は、さとう社会問題研究所のクライアントでもある、闘う主婦!さんとの任意団体です。

詳細は、こちらをご確認ください。

闘う主婦!さんのブログ

加筆事項:
2014年6月23日、横浜家庭裁判所の金森陽介裁判官は、第1回の調停での宣言通り、申立人と長男・長女との交流遮断の審判を下しました。


請願書
(注1:この請願書は結審前に提出したものです)
(注2:事件の特定につながる情報、当事者の個人情報に該当する部分は表示しておりません)

誓願事件:
 平成○年(家)第○号、○号
面会交流申立事件

請願事項:
 我々、「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」(以下、当会)は、横浜家庭裁判所(以下、御庁)に対し、○○○さんによる面会交流申立事件(以下、本件)で父子の交流遮断の判断を行わないよう、交流の維持を強く求めます。

請願趣旨:
 当会は、家庭裁判所における面会交流調停及び審判の全参加者に対し、面会交流制度の趣旨および裁判官や調査官、調停委員等の当事者に対する公平な視点こそが子供の利益の基礎となる事をお伝えしている任意団体です。

本件では、一方当事者である○○○さんより、御庁金森陽介裁判官の調停でのご発言および、御庁水谷純子・松本尚子両調査官による調査報告の内容に対する悲痛な叫びを受け、日本国の主権者の一人として、日本国憲法第16条に基づき、御庁における面会交流に対する姿勢に疑義を述べさせていただきます。

請願理由:

一、裁判所による交流遮断は、民法第766条第1項に定められた「面会及びその他の交流」の存在意義に反する

離婚とは、あくまで夫婦の関係を解消する手続であり、親子の関係を解消する手続、親子の交流遮断をするための手続ではない。
 しかしながら、平成24年4月の改正により、離婚について定めた民法第766条第1項に「面会及びその他の交流」の文言が加筆された。これは、離婚や別居に伴う別居親と子供との交流遮断が、さも当然の事のように行われているからである。

 よって、「面会交流制度」とは、離婚や別居に伴い、当然のように行われている裁判所による交流遮断に対する多くの異議を背景として成立した、いわば、社会の歪みを解消するための一つの国民的努力の結晶と言うべきものである。
仮に、面会交流が法律上の権利でないとしても、裁判所による親子の交流遮断の権利が容認されていると解するのは、主権者である日本国民の社会に対する異議を無視し、その努力を踏みにじるだけの民法第766条の曲解に他ならない。


二、御庁金森陽介裁判官による面会交流に対する予断を前提にしたご発言に対する懸念および異議

 裁判所によるあらゆる法的手続は、「誰か」の野心を叶えるためのものであってはならない。それは、家事審判においても同様である。
 また、民主主義国家における法的手続は、公平でなければならず、この場合の公平とは、手続の透明性だけではなく、第三者に対し説得力ある説明が出来ることである。

当会は、○○○さんより、平成26年4月、本件の第一回の期日の中で、金森裁判官から「もう子どもは大きくなっているんだから、会わなくてもいいんじゃないか?取り下げたらどうか?」と言われたとうかがっている。
 これは、金森裁判官は、調停が始まる前から面会遮断の結論を前提に調停に臨んでいた事を疑わせる発言である。
 そして、平成26年5月19日に提出された御庁水谷純子・松本尚子両調査官による本件の調査報告書は、○○さんによると、事実と異なる点が幾つもあり、当然、会でも確認をしたが、特に、○○さんに対する悪印象に満ちた陳述内容が全体に一貫して述べられ、交流遮断を求める結論となっている。

 さて、調停の第1回の期日で、金森裁判官は、○○さんに対し、調査を命じる前から面会交流を諦めるべきと意見していて、その上で、事実と異なる陳述を記載してまで○○さんに対する悪印象を盛り込み、金森裁判官肝いりの交流遮断を結論付けた調査報告書が審判の基礎となる恐れのある本件において、その判断の公平性を誰が信じるというのか?

 これに加えて、平成26年5月26日提出の○○さんの準備書面では、平成24年6月27日に行われた前審判の部分調査においても、御庁江口調査官という方が、「もうお父さんとは会わなくて済むからね」と発言したとされている。
 もし、これが事実であるならば、横浜家庭裁判所には不健全な心的構造が裁判官や調査官を支配し、父子の交流遮断を通じて実現すべき政治的野心があるのではという疑念を抱かざるを得ない。


三、面会交流の申立を親子の交流遮断の口実とする事は、以下の内容を意味するものである

1、面会交流の申立制度の存在意義に反する

 本件は、○○○さんが、相手方に対し、前審判の結果に基づく長女・○さんとの面会交流の履行を求めた審判である。

 ○○○さんは、審判の結果に一度も反することなく面会交流を継続してきたのであり、本件は、前審判の結果に基づく申立であるから、当の長女が逢いたくないと仰せなら、履行を促すに止め、強制をしなければ済む事例である。
それに対し、裁判所による交流遮断の審判、つまりは、申立人に対する前審判の不利益変更は、○○○さんの子供たちに対してではなく、面会交流の履行と言う審判結果に従わなかった事実のある申立の相手方に対する一方的かつ特別の配慮を疑わせる。

これは、裁判所が面会交流に関する審判では、同居親は自分に都合の悪い審判結果は履行しなくて良い。そして、別居親は、自らに都合良い審判結果は法的に保護されないという立場を採っている事を意味している。
このような、法の上に胡坐をかいて法治主義を守る努力を怠る裁判所の姿勢は、憲法第14条の「法の下の平等」および憲法第99条「裁判官の憲法尊重擁護義務」に反するものである。
物申さぬ国民を侮って、裁判所と法の存在意義を自ら毀損し、日本国民及び日本国憲法に対する背信行為に他ならない。

 2、申立人に対する事実上の法的制裁に他ならない

この点は、審判結果が明らかになっていない以上、現時点では懸念を表明するに止めるものである。

 御庁金森陽介裁判官は、調停の初期より○○さんの申立に対し、これを取り下げるよう発言をしていた以上、本件に対する交流遮断の判断は、○○さんが面会交流を申し立て、取り下げなかった事に対する報復行為、事実上の法的制裁であり、憲法第32条で保障された「裁判を受ける権利」に対する不当な抑圧と受け取られることは避けられないと思われる。
さらに、前審判結果を蔑ろにするばかりか、○○○さんの順法精神、前審判結果と相手方の誠意に対する期待を根底から踏みにじる行為にもなってしまう。

また、こういう法によらない制裁は、近代法の大原則である罪刑法定主義に反する。これは、司法に対する信頼の上に成り立つ日本国民の順法精神と日本国憲法に対する挑戦となる事の危険性を申し上げておく。


三、裁判所の子供の心理に対する根底的誤解への懸念

以下の内容は、虐待被害者である筆者が、機能不全家族の被害者など、同様の境遇にある方のカウンセリングを通じ、離婚や別居による家庭の機能不全家族化に対する社会的無理解を指摘するものである。

1、裁判所による交流遮断は、子供の親と対決し、または親を裁く機会を剥奪するものであり、子供の心理的成長を阻害する上、司法が子供の利益を守る名目で子供の成長の可能性を侮っているだけの虐待行為、いわゆる「やさしい虐待」や「『あなたのため』の虐待」である

 2、調査報告書は、子供の意向を確認するための手続であって、子供が親を裁く言葉を代弁するものではあってはならない。これは、裁判官も同様であり、特に、第三者であり権力を背景に置く裁判所、調停や審判の場が、そういう場となってもならない。

 3、子供が親と対決し、親を裁く機会を奪ってはならない事は1、の通りである。加えて、たとえ子供の要望であっても、子供の利益を考えるなら、国家の権力を背景に置く裁判官や調査官が、その代行者や介添え役となってはならない。


四、子供の意思を口実とした裁判所による交流遮断は、虐待被害者および親子関係の困難に苦しみながらも努力して乗り越えてきた方々に対する侮辱である

 1、調査報告書にある長男の陳述に関して

 調査報告書によると、○○○さんの長男・○さんは、○○さんとの面会交流の内容に対し不満を述べているとある。
 筆者も前述の通り、虐待被害者であり、いわゆるアダルトチルドレンである。アダルトチルドレンは、大人になり、社会人となってからも、対人関係が上手くいかないことが多いとされ、社会的排除や不自由を強いられている。このことは、筆者も幾度となく経験をし、身に染みて理解できているつもりである。
 また、自覚あるアダルトチルドレンに限らず、対人関係で苦労をし、不自由をしながら人の中で生活している方は、決して少なくはない。
 よって、対人関係の不自由は、誰にでもある問題で、特別なものと考えるべきではないと前置きしておく。

 思春期の子供に対しては、特に対応が難しいとされ、たとえ親子であっても対応を誤る、発達に伴う関係の修正に失敗するなど、専門家の支援を受ける事例は少なくない。
長男の不満、○○さんの面会交流についてのご苦労も、中学生の長男による親からの独立の過程と○○さんの子供との関係を維持するための努力との間に生じた齟齬、つまりは。父子の関係性が別居と面会交流の中で発達する過程に過ぎないものと判断されなければならない。

 近年では、この場合、多くが親になろうが、こういう発達の過程の当事者による試行錯誤でさえも、虐待やDVの類と判断される事例、夫婦や親族間の感情的争いの中で利用される事例が増加している。
 この背景には、虐待やDVに対する明らかな全社会的な教育および学習の不足による知識や認識の欠如、思考不足の上、実践上の努力不足の上に成り立つ客観的なだけの判断に、こういう事例の解決が委ねられ続けてきた事があると筆者は考えている。

筆者は、人格の未熟や欠陥を一概に虐待やDVと判断し、交流遮断の根拠とするのは、明らかに調査官の思考不足、裁判官の親子の関係に対する努力不足の結果に過ぎず、子供の利益に反していると断じる。

 また、本件のように、○○さんの努力が足りない点があったとしても、それは、面会交流制度と前審判結果の履行条件の中の限界によるものであり、○○さんの落ち度と捉える調査結果は、裁判所の無知や無理解の証左に他ならないと申し上げる。

 そもそも、本件調査結果が、専門的な議論の対象となるべき、前提を備えたものかどうかも疑わしいとは、請願理由二、で指摘した通りである。

 2、調査報告書にある子供の意思の陳述に関して

 平穏な状況で行われる親子の発達過程での対決に対する第三者の中途半端な介入は、不要であるばかりか有害なものとなる。特に、信頼ではなく権力を背景にした人間の介入に、子供の心理的成長や親子関係の発達の上で如何ほどの働きが期待できようか。

成長した○○さんの子供たちは、面会すべきかどうかの判断を自分で行い、○○さんに自分で直接伝えるべきである。それができないのは、子供たちが未だその時期には無く、○○さんがそれを受け入れられないならば、○○さんが父親として未熟というだけの話である。
 これに対しては、前審判の内容を維持し、面会を子供たちの意思に委ね続ければ済む問題である。そもそも、○○さんが、ただの未熟者であったとしても、前審判に対する履行違反はなかったのだから、これまで通り長女に対する面会を申し入れ続けるだけであり、長女は面会交流が嫌なら逢いたくないと言い続ければ良い。裁判所は父子の発達を信頼すべきである。

 そして、自分でものを考えられるはずの中学生や高校生に対し、裁判所が面会すべきかどうか、面会が有効か否かと意見を述べ判断を行うということは、調査を行った水谷・松本両調査官には、○○さんの子供たちの成長を認められなかった事を意味する。  むしろ、筆者は、両調査官に子供たちの成長を認められなかった事の方を問題とすべきと考える。
なぜなら、この結果は、子供たちの成長には同居しているはずの母親が一切の影響も関与もしていない事の証明にしかならないからである。
そして、その責任を○○さんの問題として押し付ける結論は、調査官の観察能力や思考力の不足か、もしくは、誰かの野心に過ぎないものに応じ、交流遮断の結論を導き出すべく、面会交流の審判が事実を争う場でないことに乗じ、事実と異なる記載をしてまで○○さんを貶める不正の努力をした成果であると断じる。

 3、国家が法律を理由に、親が子供に謝罪する機会および親が子供に許される機会を奪う事も、子供の利益に反する

 これは、請願理由三、で述べた、「子供が親を裁く機会を奪う事の子供の発達への悪影響」とは反対の、親の視点から導き出されるべき子供への悪影響である。

 「子供の利益」とは、「子供だけの利益」と解してはならない。まして、「子供の利益」を「子供のために誰かを社会的に排除する権利」と解してもならない。
また、心理学では「成長」と「衰え」を含めた生涯の全過程を「発達」と捉えている。親も親として親子関係の中で発達をしていると考えるべきである。当然、子供も親子関係の中で発達をしているのである。
交流遮断とは、その親子関係の中での親の発達だけではなく、子供の発達の機会およびその中で得られる子供の利益を奪い去る危険がある。そして、裁判所による交流遮断とは、裁判所が法と権力の名の下に、子供の発達の機会およびその中で得られたであろう子供の利益を奪い去ることである。

完全な人間など存在し得ない以上、人が過ちを犯すのは当然の事で、それは、親子関係でも同様であることは、この請願理由四、を通じて述べている事である。

 子供が親を裁く機会を奪ってはならないのと同様、親が子供に謝罪し許される機会を奪う事も、親子関係の発達に有害な第三者による余計な介入となる。


五、調査報告書の長女の陳述の中にある母子関係への疑問

本件調査報告書5頁にある長女の発言に、「申立人は、相手方が自分や長男を怒っていることを心配していたらしいと相手方の弁護士から聞いた。相手方が怒るのはいつものことであり、泣く事もあったが気にしていなかった。そんなに心配することではないのに」とある。

 筆者は、この発言に違和感を覚えた。長女は、「相手方から怒られるのは、いつものこと」で泣くほど叱りつけられても問題はなく、それを心配する父親に対して嫌悪感を示しているという。
 もちろん、長女の陳述に対し、異議を唱えるものではない。しかしながら、報告書全体からは、この発言には、長女と母親である相手方との深い信頼関係と読ませる事ができるのかも知れないが、筆者の感覚からすると、長女には、母親のそういう態度を異常と感じることができない。つまりは、幼児期から常態化して学習されている、または、父親に対する嫌悪感が、同居時から、母親のそういう態度に対し疑問を持たせないほどの水準にある。そして、○○さんは、それほどの事を長女にしていたという、どちらにしても調査官は何かしらの違和感を覚えるべきではないのかと考える。
 事実の調査について定めた家事事件手続法第58条第4項では、「家庭裁判所調査官は、前項の規定による報告に意見を付することができる」と定められている。水谷・松本両調査官は、調査報告書の中で、一貫して○○さんに対する悪印象の事実のみを取り上げているが、ご自分方でお書きになった内容に一点の疑義も抱かなかったのか?子供たちが、どうしてここまでの嫌悪感を父親に対して抱いているのかについて、子供たちに一般的な事だけ伝えて、それ以上の感覚が働かないのか?
もちろん、そういう職務ではないことは十分に存じているし、金森裁判官に対し、家事事件手続法第58条第3項により、口頭で意見をしているのかも知れないが、報告書を書面で提出している以上、意見だけ口頭で行うというのは、「何か」を隠しているという印象を第三者としては受けざるを得ない。


以上


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さとう社会問題研究所「請願書」